著者:監修…櫻井寛、作画…はやせ淳
発行:双葉社
『漫画アクション』に連載されている鉄道漫画。主人公・中原大介が日本を1周するかたわら各地の駅弁を食べまくります。
この漫画を読んでいると無性に電車で遠くに行きたくなります。それで駅弁を買って、景色を見ながら舌鼓を打つ。……こんな旅にあこがれます。いつかゆっくりとそんな旅に出てみたいものです。
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著者:畑村洋太郎
発行:岩波書店
好き嫌いの分かれそうな本です。
この本で救われる人もいるでしょうし、逆に「こんなものは数学じゃない!」なんて怒り出す人もいるかもしれません。
著者の畑村さんも書いている通り、この本は「数学」を扱ったものではありません。タイトルの通り「数」について書いた本です。かといって、ありがちな「数の雑学」を扱ったものでもありません。数に強くなるコツと数に強くなると見えてくる風景を駆け足で覗かせてくれています。
これだけ見れば好意的に受け取れるかと思います。では、この内容でなぜ好き嫌いが生まれてしまうのでしょう。
一言で書けば「アバウト」です。工学畑の方の特徴がよく出ています。数学のような厳密さで論を進めるのではなく、「いくつかある身近な例で正しいのだから、まあ他でもこの法則は成り立つだろう」という論の進め方です。嫌がる人もいるだろうと思います。
僕個人の考えを書くと、工学の専門の人の考え方そのものは理解できます。これはこれで納得できます。けれども、引き合いに出す例が不適切なものが多いのが気になります。対象とする例がひどく偏っていては、そこから導ける法則には普遍性を認めるわけにはいきません。
正直勧めがたいです。同様の内容ならば、山田真哉さんの『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の方がお勧めです。
それにしても後半の「音の周波数」と「1駅2分の法則」はいかがなものでしょう。編集の人は何も思わなかったのでしょうか……。相手が権威ある方でもしっかりと指摘してあげてほしいです。やはり「読者を一番」に考えて欲しいものです。編集の人が何も思わなかったのなら、それはそれで問題を感じてしまいます。
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著者:ジャン=ピエール・モーリ
監修:田中一郎
翻訳:遠藤ゆかり
発行:創元社
ガリレオが望遠鏡で夜空を見上げた1609年からちょうど400年。これを記念し、今年2009年は世界天文年として、プラネタリウムや科学館で天文イベントが開催されています。
図書館で本を物色していたら、この『ガリレオ ーはじめて「宇宙」を見た男』が目に留まり思わず借りたのでした。
この「知の再発見」双書シリーズ、挿し絵が多いのが特徴です。サブタイトルに「絵で読む世界文化史」と書いてあり、その名に恥じない内容です。文章と挿し絵の両面でその当時の息づかいを伝えてくれていて、かつてはよく読んでいました。今回偶然にも図書館で再会。初めて読むけど、どこか懐かしい。そんな思いで読み進めました。
この本ではガリレオ・ガリレイの天文学での功績に焦点を当てています。一言で「天動説か地動説かを巡る戦い」とまとめてもいいでしょう。
オランダの商人が玩具として望遠鏡を作ったことをガリレオが耳にしたところから話が始まります。望遠鏡の噂を耳にしたガリレオは自分で望遠鏡を作ります。
自作した望遠鏡でガリレオは月を観察します。観察の結果、月は当時考えられていたつるつるの天体なんかではなく、山・谷・クレーターが多数あるデコボコの天体であることを突き止めます。
雲かもやのように見える天の川が無数の星の集まりであることも見つけだしました。
また、金星が満ち欠けすることを発見します。このことから、金星は太陽のように自ら光輝く天体なのではなく、月と同じように太陽の光を受けて光っていることに重い至ります。
木星に4つの衛星を見つけました。この衛星の発見が天動説派への大きな反論の材料になりました。本から該当部分を引用します。
コペルニクス説に反論する人びとは、もし地球が太陽のまわりをまわっているならば、月が地球の運動に従って動いているはずがないと反論していた。それに対して、ガリレオはこう答えている。「ある惑星が別の惑星のまわりをまわり、かつその全体が大きな軌道で太陽のまわりをまわっている例は、もはや1つだけではなくなった。われわれは、自分の目で、月が地球のまわりをまわるように、4つの天体が木星のまわりをまわっているのを見た。そしてその全体は、12年の公転周期で太陽のまわりをまわっている」
自分の目で確認したものをたよりに推論していこうという徹底した姿勢を感じます。
ここまででも充分面白かったのですが、この後のカトリック教会との地動説・天動説をめぐる戦いがまた面白いのです。
教会に目をつけられることが予想できていたガリレオ。先手を打って、時の権力者や教会内部の人間に味方を作ろうと奔走します。味方作りに成功し、収入も増えます。しかし、それを快く思わない人もいるわけで、争いは激化します。
なかなかドロドロしています。
こんなガリレオをめぐる物語がたくさんの挿絵とともに楽しめるこの『ガリレオ ーはじめて「宇宙」を見た男』。世界天文年である2009年だからこそ読んでおきたい本かもしれません。
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発行:アストロアーツ
101号を迎えたという天文専門雑誌『星ナビ』。初心に立ち返るという名目で「わかってスッキリ! 天文の基礎」と題して天文に関する基本事項を解説するコーナーが掲載されていました。掲載されている疑問は7つ。その7つとは次のものです。
○「なぜ北極星はいつも同じ場所で輝いているの?」
○「なぜ季節によって見える星座が変わるの?」
○「なぜ星座は88個なの?」
○「なぜ冬の満月は、夏と比べて高く昇るの?」
○「なぜ金星は西の空で東方最大離角なの?」
○「なぜ、流星群は同じ時期に見られるの?」
○「なぜ星はそれぞれ色と明るさが違うの?」
基本的な疑問ではあるけども本格的に答えています。文章だけでなく図表も掲載されているので、視覚からも理解が進みます。
前々からこの雑誌の存在は知っていたのですが、買って読んだの初めてです。今までは本屋の立ち読みでパラパラ見るだけだったので、新鮮な体験でした。これからもちょこちょこチェックしようと想います。
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著者:文章…海部宣男、写真…宮下曉彦
発行:岩波書店
ハワイ島・マウナケアにある天体望遠鏡「すばる望遠鏡」。日本が誇る世界最大クラスの望遠鏡です。口径8.2m。数字だけ見てもピンときませんが、相当な大きさです。
このすばる望遠鏡が映し出す宇宙の姿を多数のカラー写真とともに紹介してくれるのが、この本です。それに加え、すばる望遠鏡が建設されるまで苦労も、すばる望遠鏡が初めて星をとらえるファーストライトの日のドラマも記されています。
何といっても写真にほれぼれしてしまいます。すばる望遠鏡が映し出す宇宙の姿。夜空を肉眼で見る星の姿ともプラネタリウムで見る星空とも、また望遠鏡などの道具を使って見る宇宙の姿とも違います。CGで再現した映像とも違います。「宇宙観」が変わりかねない姿がそこにはあります。これを見ながら思いを巡らし、解説を読んでまた納得する。贅沢な時間です。
また、すばる望遠鏡を巡るドラマを盛り上げる写真の存在もあります。すばる望遠鏡ができるまでの記録が、記憶だけでなく写真としても残っているのがまたいいのです。建築途中の記録写真も迫力があります。
このすばる望遠鏡がとらえる宇宙ですらも、宇宙のほんの一部。まだまだわからないことだらけというのだから、マンガ『宙のまにまに』のヒロイン美星が長生きしたいというのもうなずけます。
実に楽しめました。いい本でした。
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著者:元村有希子
発行:毎日新聞社
著者の元村さんが毎日新聞のコラム「発信箱」に書きためたものを再構成したのがこの本です。
この本の精神はタイトルに込められています。「分からない」を恥と思うのではなく、「分からない」からこそ好奇心が生まれ、その好奇心に従って調べたり考えたりすることが面白い。そんなメッセージが伝わってきます。
この点は実に共感できるものでした。
良くも悪くもテストに慣れてしまい○か×か(正解か不正解か)で判定してしまいがちです。だから、正解を手軽に求めるノウハウに飛びついたり、答えをすぐに知りたがります。同じ問題を長い時間考えるのも拒否しがちです。
テストのように正解か不正解かでとらえてしまうと、物事を二面性でしかとらえられなくなります。ある現象がダメだったとき、その真逆に走ってしまう。両極端にしか走れない傾向を感じます。「第三の道」だってあるはずなのにと思うことがしばしばです。
科学者の「分からない」姿を書き出すこの本には、正解か不正解かでしかとらえない世の傾向に楔を打つ意味で価値があります。
全体としては意義の大きい本だとは思うのですが、気になる点も多々ありました。
まず、「説教くささ」がどうしても気になります。問題点を挙げて警鐘を鳴らすのも新聞の大きな役割です。気づいていなかった視点を思い知らされることもあります。ただ問題点を挙げるだけでいいのか、と思わざるをえません。前向きな解決策を挙げてほしいのが僕の願いです。
あと主張があるのはかまわないのですが、その主張に飛躍があると「おいおい」と思うのです。「ニセ科学」と呼ばれるものを否定するのは自由ですけど、「再現性がない」ものは「ニセ科学」だというのには乱暴がすぎる気がします。極端に書けば、宇宙科学や地球科学なんか再現しようがないわけです。観察と考察の繰り返しによって構築してきた学問です。「再現性がないものは科学的ではない」とどこかで聞きかじったものをそのまま書いている姿勢を露呈しているのが残念でたまりません。
充分な文字数を与えられていないのは理解できます。けれども、2週にわたってコラムを書くとか、内容の多いものを書きたいときはそのようなページを割いてもらうとか解決策はいくらでもあるように思えます。
それに、こんなに大上段に構えないでいいのにと思います。自分の体験から発想を膨らまして書いてあるコラムの方が、正直読みがいのある魅力的な文章になっています。
メディアとして新聞を応援しています。新聞には新聞の役割があるからです。一部の残念な意見でインターネットから圧されていますが、そんなのを払拭する力を持ってほしいです。
こんなことを漠然と考えてしまいました。
■自分のサイトから関連項目
○「否定とともに解決策を」
「否定」するだけの風潮に嫌気がさして書き散らした文章です。
http://tblb.blog.shinobi.jp/Entry/19/
○「マスコミを支持しますか?」
新聞とかテレビとかのマスコミについてあれこれ書き散らした文章です。
http://tblb.blog.shinobi.jp/Entry/38/
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著者:佐藤克之
発行:評伝社
【画像なし】
「文章は自由だ!」と思い知らされる1冊です。
きっかけは『調べる!、伝える!、魅せる! 新世代ルポルタージュ指南』(武田徹・著)です。この本で『カーツの文書読本』が紹介されており、興味を持って図書館にリクエストしたのでした。
表紙から度肝を抜かれます。金色の地に「佐藤克之著/カーツの文書読本/評伝社版」とでっかく書かれています。しかも「読」の字や「伝」の字が旧字体。金色のゴージャスな感じではなく糸かがりの表紙だったりしたら、明治時代発行かと勘違いしてしまいそうです。表紙から先制パンチが飛んできたようです。
内容も破天荒で個性的です。その書き方は一般的な作文・小論文の書き方指導とは大きく外れています。けれども、一見ムチャクチャに思える中にも人をグイグイ引きつける魅力があります。
序章の冒頭から繰り出すのはこの一言。
いいな、読んでいるアナタたちも、この本は『文書読本』じゃなく『ぶんひょ本ちゃん』だと思って読んでほしい。それがまず“ぶんひょ”がうまくなる第一歩である。
……「肩に力を入れるのではなく、もっと気楽に文書を書けばいいのだ」ということを伝えているのですが、それを伝えるのにこう表現してきます。普通の基準では評価されないのでしょうが、個性を発揮しながらも趣旨をうまく伝えている文章です。
新聞や雑誌の投稿を狙う第七章では、「丁寧」かつ「ドラマッチク」に盛り上げる言葉を取り上げています。その言葉とは「…たのです」。「…でした。」で終えるのとは違う余韻が「…たのです。」には漂います。
続けて取り上げているのが「…こともあってか」。「…だったので」と原因・結果をつなぐのと違い、「…こともあってか」と書くと因果関係をオブラートに包むような不思議な雰囲気が出てきます。
次のものは『カーツの文書読本』を紹介していた『調べる!、伝える!、魅せる! 新世代ルポルタージュ指南』にも書かれていたものです。自分の耳に聞こえてきたものを聞こえたままに表現する文体を作り上げ、「耳聞体」(じぶんたい)と読んでいます。 強烈なのが『君が代』の「耳聞体」。引用します。
きぃぃぃみぃぃがぁぁあぁよぉぉおおぉわぁぁ ちぃぃぃよぉぉにぃぃぃいぃぃいぃぃぃやぁぁぁぁちぃぃよぉぉほに さぁぁざぁぁぁぁれえええええ♪
……いや、もう、ただただ圧倒されます。「文語体」に対する「口語体」とも違います。聞こえたものを聞こえたままに表現しているわけで、こうしてみると「口語体」は真の意味の「口語体」ではないと思い知ります。「話し言葉」と「書き言葉」の間にはギャップが存在していて、そのギャップを著者の佐藤克之さんはこの「耳聞体」でグシャッと破壊しています。
「耳聞体」のコツとして「ぁぃぅぇぉっゃゅょ」といった小文字の多用を勧めています。
カタカナの使用も同時に勧めています。「そうなのか」と「そうなのかッ」の違いを比べたり、「わたし」「私」「ワタシ」の字面から受けるニュアンスを比べて、カタカナの効果を訴えています。
また、記号の使用も勧めています。先ほどの「そうなのかッ」を引いて、「そうなのかッ!!」「そうなのかッ!?」「そうなのかッ?」と並べてみせ、文字だけでは伝えられない効果を引き出しています。
ここで抜き出したことは、佐藤克之さんの書いていることでも真面目に主張している部分からです。全体を通してしまうと悪く書けばハチャメチャ、よく書けば自由奔放です。でもどこか説得力があります。これは、1つの雑誌の中にコラムやエッセイがたくさん掲載されていて、その中で目立つためにつかみとった知恵だからでしょう。枠にとらわれないからこそ、必然的に目立つことができているのでしょう。
この本が書かれたのは1990年。もう20年近く前です。1人1人が「ブログ」という文章表現の手段を手軽に手に入れられるようになった今だからこそ、佐藤克之さんの書く自由な文章の書き方が生きてくるのではと思うのです。
……とはいっても、僕がすぐにマネのできる代物ではないです。僕が扱うにはまだまだ力不足です。精進します。
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著者:Suguru.T(土屋卓)
発行:エムディエヌコーポーレーション
ちょっと懐古主義というかレトロ主義というか、最近「ドット絵」に興味が出て探し出したのがこの本。図書館で見つけて借りてきました。
個人的には、本屋で今手に入る本よりも馬が合いました。
理由の1つは途中経過図を細かく掲載していることです。いきなり完成図だけを見せるのではなく、完成までの課程を見ていくことで、自分がドット絵を作るときのイメージが湧いてきます。
理由の2つ目は偏っていないこと。どうしてもキャラクターもの、特に美少女ものが需要としては高いのかもしれません。けれども、この本はそんな傾向になんか目もくれず、様々絵を載せています。動物の絵や乗り物の絵、RPG風の背景やビル街なんかも収録されています。
理由の3つ目に挙げられるのは、1つの作品を改造していくつもの作品を作っていること。色違いだけですまさず、うまく改造することで作品が量産できる様子を描いています。これはドット絵制作では大事なことだろうと思うのです。
この本、僕は図書館で見つけたのですが、手元に置いておきたいですね。2003年発行なので、本屋で見つけるのは難しいのかもしれません。ネットや古本屋で探してみようと思います。
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著者:ニコラス・ストレンジ
訳者:酒井泰介
発行:ランダムハウス講談社
データの扱い方1つでグラフの印象をガラリと変えることができることを、たくさんの事例と共に紹介しています。「グラフでだまされない知識」が身に付きます。裏を返せば、「グラフで悪用するための知識」が身に付くともいえます。
パソコンが1人1台という時代になり、エクセルやパワーポイントが手軽に扱えるソフトになりました。中学生がワード・エクセル・パワーポイントを学校で教わるというのだから、恐ろしい時代です。
そんな時代だからこそ、意識するかしないかはともかく、事実をねじ曲げたグラフが世にあふれています。
翻訳書という性格上、この本では海外の事例(著者の本国・イギリス)ばかりです。だからといって、遠い国の話というわけではなく、どこにでもありそうな事例も多く掲載されていて、初めて知る人には驚きに満ちあふれているかと思います。
類書に『データはウソをつく―科学的な社会調査の方法』(谷岡一郎・著)なんて本もお勧めです。この本でも充分衝撃を受けられます。
棒グラフ・円グラフ・……、名前は知っています。グラフの書き方、見方は学びます。けれども、「グラフにだまされない方法」は決して学びません。「グラフの読み方」ももはや「リテラシー」なのだなと実感させられました。
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