著者:ペートル・ベックマン
訳者:田尾陽一、清水韶光
発行:筑摩書房
日本語版の初版が1973年というこの本。元々は『A History of π』(Petr Beckmann・著)として1971年にアメリカで発行されたものです。
前書きにこのような文があります。
私は歴史学者でもなければ、数学者でもない。だから私は、この物語を書くのにもっともふさわしいと強く感じたのである。(p.9より引用)このことから判断できるとおり、著者は数学を専門としていません。それがこの本の魅力でもあり、同時に欠点でもあります。
魅力は何か。専門家ではないからこその脱線が楽しいのです。脱線というと語弊があるかもしれません。物語の幅が大胆に広く描かれている、と表現した方が適切かもしれません。
欠点は何か。まどろっこしい証明や説明がたびたび登場するところです。そのかったるしさに「イラッ」とすることもあります。とんでもない間違いもあります(全体の文意を損なうほどのものでもありませんが、数学的に誤りがあるという程度です)。まあ、それにツッコミながら読むのも、またいいのかもしれませんが。
『πの歴史』のタイトルにふさわしい内容です。数(数学)の萌芽から、古代文明における円周率の発見、ギリシア人の格闘、中世ヨーロッパの暗黒時代、偉大な数学者たちの登場、連分数展開や級数によるπの表現、無理数・超越数としてのπ、コンピュータによるπの計算、とπの歴史が順を追って追いかけられるようになっています。
「πの歴史」は数学の歴史であるのと同時に、人類の歴史でもあります。もちろん数学の歴史のすべて、人類の歴史のすべて、などと大言壮語を語るつもりはありません。歴史の一側面です。これはまさに、「πの歴史は、人類の歴史をうつしだすちいさな鏡である」という「まえがき」冒頭の文が端的に表しています。
コンピュータは人間の組んだプログラム通りにしか働かない、いわば、融通の利かない、知性のない(より正確に書けば、知性のなかった)装置であることを解説した上で、次のような言葉が続きます。心をつかんだ言葉です。
私の言葉でいうならば、知性とは“新しい状況に適応する能力、あるいは、経験から学ぶ能力;すなわち、複雑な物事から本質的な要素をつかみとる固有の能力”である。(p.308より引用)新しいことを経験すること。これが知性に求められる「前提条件」です。その対極となる行動、例えば、「未知のモノをパスする」「決められたことしかやらない」「自分の知っている世界だけでぬるま湯につかる」「自分の意にそぐわないことには見向きもしない」。こんな行動は「知性ある行動」の前提すらクリアしない行動であるわけです。
食わず嫌いをやめて、まずは試してみる。何事にもチャレンジして、そこから教訓を得る。ここから知性が生まれてくる。読んでしまえば当たり前のようですが、僕にとっては考えさせられた言葉でした。
この『πの歴史』、専門家ではない外野から見た知己に富んでいます。数学の歴史を学ぶだけでなく、他にも考えさせられるヒントが詰まった本です。数学好きにしか見向きされにくい本でしょうが、そんな人が自身の世界の幅を広げるのにふさわしい1冊です。数学好きにおすすめしたい本です。
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