著者:齋藤孝
発行:講談社
タイトルが内容のすべてを表しています。まさに、齋藤孝さんが若い人たちに向けて書いたメッセージです。
学びに対して、教養に対して、あこがれを抱くこと。この本での言葉を借りれば『「リスペクト」という心の習慣』を身につけることの重要性を、手を変え品を変え幾度も訴えています。
同じような危機意識を持ち、同じような警鐘を鳴らしている方がたくさんいらっしゃいます。
けれども、齋藤孝さんのようにストレートに危機感を文章にし、その思いをストレートに表現している本を他に知りません。
思うに、「教育」とは「国の財産」です。目に見えないけれども、りっぱな「資源」です。天然資源は使えばなくなりますが、この目に見えない「資源」は、使えば使うほど、磨けば磨くほど、強くたくましく立派になります。
歩かなければ足腰は弱くなるし、堅いものを食べなければあごは弱くなります。けれども、足腰もあごも、そして知性も鍛えれば強くなります。
齋藤孝さんの提唱、一朝一夕には実現できるものではありません。知性に対するあこがれという心の問題から始まり、読書の習慣化、そして思考することや発言・表現まで昇華させないといけません。
これを考えると、大人こそがしっかりすることから始めないといけないと感じます。まずはリスペクトされる大人になること。これが第1の課題であると思うのです。
それを考えると、この本、若者に向けて書いてあると同時に、大人に対する応援歌にも聞こえてきます。もしくは「大人よ、しっかりしろ」という叱責にも聞こえます。
あとがきにあったある1文に心が留まりました。内容がわかるように後の文も引用します。
心だけポジティブになるというやり方では、現実を目の前にしたときに、脆い。技があってはじめて、本当の自信が持てる。
「現実を目の前にしたときに」と「脆い」の間のテン。このテンがなくたって何の不自然さも感じません。逆にテンがあることで間が生まれています。この一呼吸に齋藤孝さんの強い想いを感じます。
巷には「ポジティブ」を勧める本があふれています。前向きでありさえすれば世の中は渡っていける、そんな風潮です。もしくは、手軽なノウハウ本、「楽して○○できる」ことを賞賛する本もあふれています。思考の放棄、お手軽なのが一番、そんな方向への大きな流れができてしまっています。
そんな流れに対して、はっきりと「No」とつきつけ、そして自分自身がしっかりするしかないというメッセージが色濃く出ています。「テン」の一呼吸からそんなことを想像してしまいました。
13ページにわたる長い長い、そして想いと気合いの込められたあとがきの最後に「若い人たちへのメッセージ」とあります。部分引用といえない分量ですが、ぜひ記録しておきたい! 問題がありそうですが、引用してしまいます。このメッセージに心引かれたら、ぜひこの書籍を手にとって欲しいと想います。
学ぶエネルギーが発散されている人・場所に集いたまえ。
友に対しては、上に向かって飛ぶ、「向上心の矢」として接したまえ。
学び合い、新たな「気づき」が生まれる瞬間こそ、人生の祝祭と感じ、拍手と歓声で、その「祭り」を祝いたまえ。
自分を支えてくれる「技」を磨き、その技で他の人を幸福にすることを生きがいとしてくれたまえ。
「わからなさ」に出会った時、「関係ない」と切り捨てずに、踏みとどまって理解しようとしてほしい。
自分の価値にゆらぎを与えてくれる「自分とは異質の他者性の高いもの」こそ、自分を高めてくれるものとして大事にしてほしい。
日本の先人たちがどれほど学ぶことに燃え、それを楽しみとして生きたか。それを誇りにしてほしい。
そして、つらい時、くじけそうな時は、「雨ニモマケズ」を全文つぶやき、宮沢賢治マインドを心の灯としてともしてほしい。
久しぶりに齋藤孝さんの著書を読みました。一時期、自分の中で「齋藤孝さんブーム」が起きていて、齋藤孝さんの本を追いかけていたものでした。シリーズというわけではありませんが、『○○力』なんていう本もよく読みました。
齋藤孝さんの著書を読んでいると、下積み時代(報われなかった時代というのかもしれませんが)に培った地力が他の人と違うように思います。
本の点数が増えてくると、どうしても「どこかで読んだ感じ」が拭えません。
けれども、齋藤孝さんの場合はいまだに新鮮な素材、目新しい切り口を提供し続けています。
これって、ちょっとやそっとじゃ真似できるものではありません。
読みはじめの時は存在すら意識していなかったのですが、読み始めたら無性に「3色ボールペン」が欲しくなりました。赤・青・緑に色分けしたい衝動にかられたのです。書いているご本人も書きながら意識しているのだろうなと、思わずうなってしまいました。