2009年4月30日木曜日

『電化製品列伝』

著者:長嶋有
発行:講談社

 著者である長嶋有さん。小説家として「長嶋有」、コラムニストとして「ブルボン小林」、俳人として「長嶋肩甲」と、複数の顔を持っている方です。僕にとってはブルボン小林名義の文章に一番なじみがあります。ゲームについて語った『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』、タイトルを徹底的に論じた『ぐっとくる題名』など、視点の鋭さとその表現力に毎度驚かされます。

 今回は『電化製品列伝』。小説から電化製品の出るシーンだけ取り出して、そこを熱く語るという何とも珍しい書評(一部に漫画や映画も含んではいますが)です。
 「電化製品」で1冊の本を仕立てあげようとするだけあって、電化製品に注がれる目線は特別です。

(p.15)さまざまな「物」の使用後を思ったとき、電池ほど存在感の変わらない「物」は、ちょっとない。

○(p.34)リモコンはそもそも、「ものぐさな人のために」誕生した(はずだ)。……(中略)……だから、父親の正勝がここで「床に寝ながら」リモコンを操ろうとするのは、本来のリモコンで行うべき「作法」を律儀にみせているようでもある。

○(p.89)加湿器は「おー」といわせるための物体ではない。だけど我々は暮らしに入り込んだばかりの家電品を、それもその仕事ぶりをしばしば「鑑賞」する。

○(p.110)「使い手」と「道具」と「世界」という三点を思い描くとき、アイロンは、使い手が世界に対し能動的に作用する(扇風機やテレビなど、多くの電化製品は使い手を「受け身」にする)。

 家電製品が登場する場面をつかまえて、長嶋有さんは語ります。その語られる内容に特別な奇抜さはありません。あたり前すぎて見過ごしていることを「わざわざ」言葉にしたとき、ちょっとした感動が生まれるのです。心が「ざわざわ」と波打つような、そんな気分になるのです。

 「長嶋有」名義であろうと「ブルボン小林」名義であろうと、そこで語られるのは「小さな発見」です。他の人にとってはただの草むらの土地。けれども、そこに小さな花を見つけてしまいます。その小さな花にどれだけの価値があるのか(もしくは、過去にあったのか)を、柔らかい語り口で僕らに披露してくれるのです。僕らに「発見」を与えてくれる「ガイド」のようです。
 こういう発見ができる長嶋有さんの目が、僕はたまらなくうらやましく思うのです。本当に素敵です。

 こうして全編にわたって「家電製品」に目が注がれています。それに並行して、しばしば「名詞」や「固有名詞」に目が注がれています。それは、僕にとって目がウロコの指摘でした。
 例えば、文章の中に「太鼓の達人」を見つければ、自然とゲームセンターにあるあのゲームをリアルに思い浮かべます。けれども、「太鼓のゲーム」とあえて距離を置いて表現したものが、ゲームの存在を意識していない人の「現実の世界」へと近づけるというのです。(本文中の表現が技巧的だったので、前後関係がなくても把握できるように書き換えてみました。……が、はたしてこれでいいのか、いまいち不安です。僕の理解不足を露呈しているだけかもしれません。)

 別の箇所では「名詞はうるさい」とも長嶋さんは表現しています。家にあるすべての物をいちいち表現していったら、物語の時間が止まってしまうというのです。ここで、紐でしばられた発表スチロールの箱を開ける場面を引用した後、次のように書いています。

「私は箱を開けた」と一文だけ書いて、すっ飛ばすやり方がある。でも立ち向かう。ビニールテープという単語に。

 「うるさい名詞」に「立ち向かう」からこそ文章に生まれた臨場感を解説してみせます。「世界に及ぼした微かな作用を見逃さないことで、カタカナの名詞はうるさくないどころか、その世界の臨場感をますのに貢献している」なんていう解説の語り口にしびれます。

 長嶋有さん(ブルボン小林さん)の書く文章を読んでいると、そこに世界を作り、自然とその世界に招かれていく感覚を覚えます。少し前に書いた世界を見つめる「目」もそうですし、その「目」を通してみた「世界」、そして、その「世界」を描写する表現力。僕なんかは非常にあこがれます。これからも追い続けていこうと思います。


○途中で紹介した『ぐっとくる題名』(ブルボン小林・名義)。『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』の方はなぜか楽天ブックスに存在していませんでした。再販もかかったはずなのに、なぜ??

○長嶋有さんの公式サイト
 http://www.n-yu.com/

○ブルボン小林さんの公式サイト
 http://www.bonkoba.jp/

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2009年4月28日火曜日

ちくま文庫『文章読本さん江』

著者:斎藤美奈子
発行:筑摩書房

 この本は文章の書き方を指南する「文章読本」ではありません。過去の文章読本を研究した「文章読本論」です。
 引用および参考にしたという文献のタイトルが巻末に列挙されています。文庫版の巻末に収められたその総数は121冊。このうち、ほぼ3分の2にあたる89冊(追記の8冊を含む)が文章読本です。これだけの文章読本を読んで、文章読本作家の思惑を引きずり出し、痛快に論じてみせる。そんな本です。

 斎藤美奈子さんの著書を読むのはこれが初めてです。きっかけは以前読んだ『調べる!、伝える!、魅せる! 新世代ルポルタージュ指南』(武田徹・著)や『うまい!日本語を書く12の技術』(野内良三・著)に引用された文を読んだことです。そこで引用された文に引かれるものがあり探し出してきたのでした。引用された文だからこそ、その一言にはパワーがあったわけですが、そこで引用された言葉だけでなく、文章全体からも並々ならぬパワーを感じ取ることができました。

 この本のすばらしさはどこにあるのか。僕なりにまとめると「絶妙な切り取り方」「巧みなまとめ方」「ネーミングセンスの良さ」の3点に思えます。
 「絶妙な切り取り方」というのは引用のうまさを表しています。引用された箇所を読むだけで、その著者に潜んでいる思惑や世界が伝わってきます。過不足ない引用の具合は見事です。
 「巧みなまとめ方」とは、数ある文章読本を隠れたつながりでグループ化してみせる斎藤さんの妙を示しています。まとめ方のうまさに「は~」と言葉が漏れてしまいそうです。
 「ネーミングセンスの良さ」は、そのままですね。切り取って分類してできた新しい概念に、これまた見事な名前を付けてしまうのです。「なるほど!」と唸ってしまうネーミングの良さです。

 「ファンタスティックな挨拶文」と題された節で、文章読本作家のご機嫌ぶりをさらします。そのご機嫌ぶりを斎藤さんは3つに分類してみせます。

【A】恫喝型の挨拶文
  憤慨→理解→脅迫→結論
【B】道場破り型の挨拶文
  現状→落胆→義憤→結論
【C】恐れ入り型の挨拶文
  謙遜→さらに謙遜→自負→結論

 文章読本からそれぞれに引用された文を読むと、文章読本作家たちのご機嫌ぶりがよく伝わってきます。僕自身、斎藤さんの指摘を読むまで気づいていませんでした。けれども、この作家たちのご機嫌ぶりに一度気づいてしまうと、心の底に秘めたる笑顔が浮かんでくるようです。

 ここと同じように文章読本作家の心理をうまく表現している箇所があります。第Ⅱ章始まってすぐのところに、こうまとめています。

(A)自分と同じ意見に出会う
  → 自信が湧いてつい人に教授したくなる(自慢)
(B)自分と異なる意見に出会う
  → カチンときてつい反論したくなる(反発)
(C)自分の知らなかった意見に出会う
  → 感動のあまりつい吹聴したくなる(伝道)
(D)自分の意見がどこにもないと気づく
  → これはいわねばとの思いが募る(発奮)

 過去に数多の文章読本が出版されています。それでもなお、文章読本は新しく世に生まれています。新しい文章読本がどうしても生まれてしまうメカニズムがきれいに表現されています。著者の斎藤さんはこの後に続いてこう書いています。

【p.83より引用】
 つまり何が書いてあっても「ワシにいわせろ」気分が盛り上がってしまうのだな。相当数の文章読本とつきあった当人(私)がいうのだからまちがいない。

 他の箇所では『「ええい、こっちへ貸してみな」の心境』とも表現しています。これも文章読本作家たちの心理をうまく表しています。
 80冊以上もの文章読本を読んできたからこそ説得力があります。まあ、この本の著者の斎藤美奈子さんの場合は文章読本ではなく、文章読本論になってしまったわけですが。

 それにしても、文章読本作家が文章読本を書くに至った心情を表した(A)~(D)。この心情、文章を書き出す動機としてどこにでもありそうです。ブログなんかがいい例でしょう。日常を綴った日記であるとか、ニュース・出来事を伝えるだけの記事とかを除けば、世のブログの記事はこんなものではないでしょうか。
 「あそこに書いてあったこと、私も同じこと考えてたの!」
 「あんなこと言っているあいつはけしからん!」
 「こんなすばらしい意見がこんなところにあったなんて!」
 「誰も気づいていないので私の出番ですね!」
 ようはどれも、隣の人のそでを引っ張って「ねえねえ知ってた?! ちょっと聞いてよ!」と語りかけるようなものです。当人はいい気分でしょう。でも、他の人からしたらお節介じみていて、ムリヤリ聞かされるならばただの迷惑。救いがあるとすれば、文章読本もブログも強制力はなく読むかどうかの選択の自由が与えられることでしょうか。
 ……なんて書きましたが、僕の文章こそがお節介の最たるものでしょうか。「これは自分のために書いているからいいのだ!」と居直るしかありません。

 思わず脱線してしまいました。『文章読本さん江』から文章読本作家の気持ち、特にそのご機嫌っぷりに注目しているのでした。
 本の前半、具体的には第Ⅰ章や第Ⅱ章でこうやって文章読本作家のご機嫌っぷりが示されていきます。ご機嫌っぷりを示し、バサッバサッと切っていく斎藤美奈子さん自身もご機嫌です。

 けれども、第Ⅲ章から趣を変えていきます。明治時代の日本語の文体の変遷、ならびに明治から戦後に至る作文教育の解説が始まります。

 今でこそ文体と言えば「だ・である体」(常体)と「です・ます体」(敬体)に分類できます。ところが、江戸時代から明治・大正へ経る過程には様々な文体が提唱され、試されたようです。江戸時代の書き言葉として「はべる・けるかな」が使われていたところに、「ござる・つかまつる体」を提唱した前島密。あの「日本近代郵便の父」の前島密が徳川慶喜に提案しています。残念ながら慶喜に届くまでにひねりつぶされたようですが。当時の言文一致体の走りです。今から見ると奇想天外とも写る文体はまだ他にも存在します。例を挙げてみます。

「かッた体」
 小文字の「っ」がカタカナの「ッ」で表記され、さらに「です」を使わずに「ありませんかッた」などと書き表した文体です。「おとッさんは家にいませんかッた」のようになります。

「棒引きかなづかい」
 発音が同じなのに表記を変えるのは負担になるとのことで「を・は・へ」を「お・わ・え」にし、さらに同音で伸ばす音を表すときにはひらがなであろうと「ー」を使うというものです。例えば「おとうさんは会社へ行った」は「おとーさんわ会社え行った」になるという、まあなんともすごい文体です。

 斎藤美奈子さんもノリノリでこの文体をマネています。なんとも楽しそうです。

 こういった明治時代の新文体の解説を前後して、作文教育の歴史が語られます。
 現代を生きる僕らから見ると漢文の書き下し文を読んでいる気分にさせられる「漢文体」。まさに当時のエリート候補生のための文章。技巧を凝らすことが第一で、真実を映し出すなんてことは二の次なのでしょう。
 こう極端なものが出るとアンチが生まれるものです。「綴り方教育」と呼ばれる「ありのままに自由に表現する」主義です。形式主義から無形式主義へ、束縛から解放へ、そんな流れがくみ取れます。これに続く戦後の争いも紹介されます。その争いとは、新かな体と旧かな体の争い、綴り方教育と作文教育の争い、です。そして、戦後の作文教育がしだいに読書感想文指導にシフトしていく様が描かれます。

 明治から戦後に至る作文教育の歴史を読みながらワクワクしました。ノンフィックションのルポを読んでいるような感じです。自分の知らなかった歴史から始まるのだけれど、最後には自分が受けてきた教育にきちんと着地する。きちんと着地したときに、サーカスのアクロバティックな演技を見た気持ちになります。この途中、谷崎潤一郎の『文章読本』への不自然さも解消します。伏線が回収されていくようで気持ちいいものです。

 さて、長い長い歴史の描写の後、最後の章、第Ⅳ章が展開されます。今までの伏線をすべて回収し、大きなうねりを伴いながら結論へ行き着きます。
 文例集→修辞学→文芸批評と変遷し、読み物化していく文章読本。「あるがまま」の学校作文への反発から、新しい道へと舵を切った文章読本。純文学作品の文章を崇め奉る文学主義・権威主義に反抗する文章読本。今までの文章読本をパロディ化し、型を破った文章読本。多くの文章読本が登場します。さすが、80冊以上を読み込んだだけのことはあります。
 続々と登場する例に驚きつつも、流れは「衣装は体の包み紙、文章は思想の包み紙」に至ります。ここでまさに斎藤美奈子節が炸裂します。少し長く引用します。

【p.331~332より引用】
 どうりで、ジャーナリズム系の文章読本には色気が不足していたはずである。彼らの念頭には人前に出ても恥ずかしくない服(文)のことしかない。彼らの教えに従ってたら、文章はなべてドブネズミ色した吊しのスーツみたいなもんになる。新聞記者の文章作法は「正しいドブネズミ・ルックのすすめ」であり、まさに新聞記者のファッション風なのだ。…(中略)…
 しかしまあ、それはよい。文は服である、と考えると、なぜ彼らがかくも「正しい文章」や「美しい文章」の研究に血眼になってきたか、そこはかとなく得心がいくのである。衣装が身体の包み紙なら、文章は思想の包み紙である。着飾る対象が「思想」だから上等そうな気がするだけで、要は一張羅でドレスアップした自分(の思想)を人に見せて褒められたいってことでしょう? 女は化粧と洋服にしか関心がないと軽蔑する人がいるけれど、ハハハ、男だっておんなじなのさ。近代の女性が「身体の包み紙」に血道をあげてきたのだとすれば、近代の男性は「思想の包み紙」に血道をあげてきたのだ。彼らがどれほど「見てくれのよさ」にこだわってきた(こだわっている)か、その証明が、並みいる文章読本の山ではなかっただろうか。

 文章読本をすでに出版した人たち、これから出版しようとする人たちは「ギャフン」と言ったことでしょう。「ドブネズミ・ルック」だの「一張羅で褒められたい」だの書かれたら、どんな気勢もしおれてしまいます。それでなくても、橋本治さんの文章を引きながら「困った中年」などとも揶揄しているくらいです。もう完全にノックアウトです。この本を読んだら文章読本を書こうなんて気をなくしてしまいます。本当に罪作りな本です、『文章読本さん江』は。


 あまりにも長い文章となってしまいました。調べたら4000字を超えています。書いては消し、書いては消しと何度も書き直しながら、やっとの思いで完成しました。
 途中で書くのをやめてしまおうかとも何度も思いました。何というか、僕の文章力で伝えきれないというか、斎藤美奈子さんの文章に圧倒しっぱなしだったのです。苦労しました。もっとコンパクトにしたかったのですが、この興奮を表すにはこうするしかありませんでした。そう、途中で書いたとおり、まさに『「これは自分のために書いているからいいのだ!」と居直るしかありません』の気分です。なんとかゴールまでたどり着けて満足です。
 でも、この文章を書くために1週間は費やし、そのために書きたい読書記録がたまってしまいました。そして、玉突き事故のように、新しい本を読むのもストップしてしまう始末です。
 もう一度繰り返します。本当に罪作りな本です、『文章読本さん江』は。

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2009年4月21日火曜日

生活人新書『うまい!日本語を書く12の技術』

著者:野内良三
発行:NHK出版

 文章指南の本が最近気になっていて、機会を見つけては読んでいます。たまたま図書館で見つけ、今回手にしたのは『うまい!日本語を書く12の技術』。
 過去、数多の文章指南本が発行されてきました。方法論としては出尽くされた感があります。そんな中で、この本は今までの文章指南からうまい塩梅にエッセンスが抽出されてあって、その点でお得な本だと感じました。

 本のタイトルに持っている「12の技術」を抜き出してみます。

 一条 短い文を書こう。
 二条 長い語群は前に出そう。
 三条 修飾語と被修飾語は近づけよう。
 四条 係り-受けの照応に注意しよう。
 五条 読点(、)は打たないようにしよう。
 六条 段落を大切にしよう。
 七条 主張には必ず論拠を示そう。
 八条 具体例や数字を挙げよう。
 九条 「予告」「まとめ」「箇条書き」などで話の流れをはっきりさせよう。
 十条 文末を工夫しよう。
十一条 平仮名を多くしよう。
十二条 文体を統一しよう。

 個人的には納得しかねるものもあります。けれども、指示が具体的に明確です。実際に大学生に指導した経験に裏打ちされているのを感じます。指導のしやすさを考えるならば、このような12条になるのは納得がいきます。

 さて、著者の野内さんは大学の教授らしく、この12条をさらに細かく分析していきながら、文章の書き方を解説していきます。そんな分析のうち、「おお、これは!」と感じたものを抜き出してみます。

 まずは「具体例や数字を挙げよう」と題された八条から。「例示」の役割には3つあると整理しています。その3つとは、
(1) 説明する
(2) 説得する
(3) 反論する

です。

 続いて三条「修飾語と被修飾語は近づけよう」から、「修飾の原則」を2つ。
(1) 一つの語に、長い修飾語と短い修飾語がつく場合には長い方を前に置く。
(2) 修飾語は被修飾語のなるべく近くに置く。

 四条「係り-受けの照応に注意しよう」には、「読点の原則」が12個も列挙されています。
(1) 長い語群の前に置かれた修飾語の後で。
(2) 並列関係に置かれた文や連続する長い語群の切れ目に。
(3) 条件や理由や時などを表す従属節の後で。
(4) 主題提示部/主語が長くて、しかもそれを受ける述語が離れているとき(「……、それは~」も含める)。
(5) 次の語句を飛び越して遠くの語句を修飾するとき。
(6) 倒置法が使われたとき。
(7) 曖昧さを避けるため。
(8) 漢字あるいは平仮名ばかりが続いて読みづらい時。
(9) 助詞が省略されたり、感動詞が使われた時。
(10) 文全体にかかる副詞(いわゆる「文の副詞」)の後。
(11) 「……と(驚く)」「……というような」といった引用や説明を表す「と」の前で。(後に打つ場合もある)
(12) 「しかし」「そして」など接続詞の後で。

 (1)~(7)は必ず読点を打つ必要があるもので、(8)~(12)は書き手の好みに任される読点だと説明されています。

 他にも興味ある体験談が記されていました。
 筆者の野内さんの専門は、フランス文学・レトリックです。30代の頃、フランス語の小説を日本語に翻訳することになったそうです。「こなれた日本語」にとの指示を与えられた野内さん。フランス語には自信があっても、「こなれた日本語」にするのが不安だったようです。そこでとった行動が見事です。横溝正史や江戸川乱歩といった推理小説家をはじめ、大衆小説を数多く読みました。そして、感心した表現、知らなかった言い回しをカードに片っ端から書き記していったそうです。その数、1500枚から2000枚。この地道な作業の甲あって、担当編集者から褒められる翻訳ができたようです。
 このような経験があるからこそ、「書くことは引用だ」「定型表現は遠慮なく使おう」といった主張につながっているのがわかります。

 細かい分類や地道な書き出しをしてきた筆者らしい附録が巻末に付いています。〈文彩小辞典〉〈「舵取り」表現集〉と題された附録です。
 〈文彩小辞典〉は「隠喩」「対照法」「トートロジー」といったレトリックが辞書的に解説されています。
 〈「舵取り」表現集〉の方は、「論述を切り上げたいとき」「まとめるとき、言い換えるとき」といった文と文をつなぐ定型表現を12のシチュエーションに分類しています。そして、シチュエーションごとに具体例が列挙されています。類似のものが文検の参考書にも載っています。
 この附録を見るだけでも、筆者のまめさが伝わってきます。関心してしまいます。

 この『うまい!日本語を書く12の技術』、過去の文章指南本を研究した上で書かれています。多少のくどさはありますが指示が明確です。高校生・大学生や文章指導で困っている人のヒントになるかと思います。

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『即効!図解プログラミングJavaScript』

著者:古籏一宏
発行:毎日コミュニケーションズ

【画像・リンクなし】

 先月読んだ『初体験JavaScript』に続いてJavaScript解説書です。

 前にも書きましたが「実際に動かしてみよう!」みたいなノリのプログラム解説書は苦手です。だから、僕が選ぶプログラム解説書はそうなっていないもの、つまり、解説を追いかけるだけでも頭の中でプログラムの中身が理解できるものになります。

 脱線するのですが、プログラム解説書における「実際に動かしてみる」と「頭の中で追いかけられる」の分類。これって将棋・囲碁などのゲーム解説書と似たところがあります。駒や碁石を盤面に置きながらでないと理解できない解説書はやっぱり苦手です。本を読んで頭の中で考えたいのです。
 プログラム解説書と将棋・囲碁解説書、どちらにも一連の手続き(アルゴリズム)があります。プログラムは原則として上から順に実行されます。将棋・囲碁は相手と交互に手を打ち合います。いい手であっても、そのタイミングを誤れば悪手になります。結果図だけ見せられても、そこに至る過程がわからないと理解にはたどり着きません。経過図が掲載されていると僕にとってはすごくありがたいのです。「実際に手を動かしてみる」派の人には理解してもらえないのでしょうけど。

 脱線しました。
 この本にはゲームのプログラムが掲載されています。掲載されているゲームは数当てゲーム、モンスター叩きゲーム、早押しゲーム、シューティングゲーム、ロールプレイングゲーム、タイピングゲーム、ドライブゲームと7種類にわたります。タイトルに「ゲーム」と謳っていないのにもかかわらず7種類ものゲームプログラムを扱っているのも珍しいのではないでしょうか。

 JavaScriptでゲームプログラムを組んでみたい人には勉強になります。

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2009年4月20日月曜日

文藝新書『面接力』

著者:梅森浩一
発行:文藝春秋

 「面接」とは自分という商品を売り出すこと、いわば「商談」の場なのだと定めて、面接突破のためには「対話力」「コミュニケーション能力」が必要だと説いた本です。

 「面接」を「商談」とすれば相手のニーズを引き出し、そのニーズに合わせて売り込むことが必要です。ニーズを引き出すにはその場での「会話力」「コミュニケーション能力」が問われます。会話の中でニーズをつかみ、自分のメリットを売り込む。だからこそ、「面接」はマニュアルなんかでは対応できないといいます。
 この本を通して何度も登場する言葉が「タテマエ」と「ホンネ」。面接官はあの手この手で候補者の隠された「ホンネ」を引き出そうとします。それが候補者にとってはデメリットであることが多く、不採用につながります。

 この手の面接の経験が乏しかったので、自分の中では想像か物語の世界だったわけですが、この本を通して就職活動における面接の厳しさを垣間見た気がします。
 本やネットにあるような知識ではなく、経験に基づいて書かれているからこそこのリアリティーが出てくるのでしょう。

 参考になることは多かったのですが、その中でp.127に書かれていた「弱み」を「強み」に言い換える術に感心しました。発想がユニークというわけではありませんが、こうしてまとまった数が掲載されている例は珍しいと思います。ここに引用してみます。

○用心しすぎる傾向がある。
  ⇒ 注意深く、正確さを大切にする人間である。
○まとまりがつかなくなることがある。
  ⇒ 自由に、先入観にとらわれずに物事を考える方である。
○行動が遅いと言われる。
  ⇒ 軽率な行動をさけ、注意深く行動する方である。
○ガンコなところがある。
  ⇒ 一生懸命なところがあり、また首尾一貫しているともいわれる。
○思いやりに欠けるところがある。
  ⇒ 率直であり、直截的な裏表のない性格である。
○なんでもかんでもコントロールしたがる。
  ⇒ 結果をとても重要視したがる性格である。

 もう1つp.173に登場する「プロアクティブ(proactive)」という概念が気になりました。pro-が「先」「前」という意味の接頭辞で、activeが「行動」ですから、「プロアクティブ(proactive)」とは「先を見越した行動」(※)という意味になります。

※英和辞典でproactiveを調べると名詞ではなく形容詞です。だから正しくは「先を見越した」とか「事前に行動を起こした」という意味になります。なんたって名詞ならactionですもんね。
 英辞郎 proactive
 http://eow.alc.co.jp/proactive/UTF-8/?ref=gg

 「プロアクティブ(proactive)」と対になる言葉が「リアクティブ(reactive)」。この2つの概念の大きな違いは、前者が事が起こる前に自主的に手を打っておくのに対し、後者が事が起こってから強制的に振り回されてしまうことです。「プロアクティブ(proactive)」には積極性・能動性が伴い、「リアクティブ(reactive)」には消極性・受動性が付きまといます。
 なんでもこの「プロアクティブ(proactive)」、中国では「先知先覚」と表現するそうです。なかなか洒落た表現です。

 この「プロアクティブ(proactive)」という概念を知って思ったのです。
 「リアクティブ(reactive)」な対応に長けているせいで「プロアクティブ(proactive)」な行動が弱い人が身近にいるなと。本人にしてみればギリギリのところでクリアしていくわけです。そのスリルが大きければ大きいほど強い快感に変わる。だから「リアクティブ(reactive)」な対応がやめられない。ますます「プロアクティブ(proactive)」から遠ざかる。悪循環です。
 夏休みの宿題にも通ずるかもしれません。「プロアクティブ(proactive)」な能力を発揮して7月のうちに宿題を終わらせるのか、「リアクティブ(reactive)」な性格が現れて8月31日に泣く羽目になるのか。

 「リアクティブ(reactive)」を脱却して「プロアクティブ(proactive)」な姿勢を見に付けるにはどうしたらいいのか。欠かすことができないのは「想像力」だと思うのです。「想像力」は、相手が真に求めていること、相手が喜ぶこと、または相手が気づいていすらいないニーズに心を寄せる力です。もしくは、その行動をするかしないかで分岐する将来の姿をイメージする力です。もちろん想像した将来に向かって行動を起こしていく意思の力も必要です。ただ「先を見越した」と念仏のように唱えても意味がありません。「先」が見る対象を明確にしなければなりません。

 この本にはさまざまなトピックスが盛り込んであるので、読み人によって関心を抱く箇所が異なるような気がします。それだけ懐が広いともいえます。面接を受ける人、面接をする人にとっても役立つのはもちろんのこと、コミュニケーションについて考えたい人にもヒントになります。

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ブルーバックス『クイズ 宇宙旅行 逃げる宇宙船に追いつくにはどう操縦する?』

著者:中冨信夫
発行:講談社

 普段感じることはないけれども、問われてみると「どうなんだろう?」と思える疑問を出題。そして、それぞれの問いに詳しい解説を施した本です。雑約やトリビアやうんちくとも違うのですが、なるほどとうなずきながら読み進められます。その中に人類の宇宙開拓への歴史も描かれており、あまり語られることのないドラマも知ることができます。

 専門書のような重さはありません。そんな重さを感じずに、でも少し専門的な天文の世界に軽く触れてみるのにピッタシの本です。

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角川oneテーマ『天気予報はこんなに面白い! 天気キャスターの晴れ雨人生』

著者:平井信行
発行:角川書店

 NHKなどで活躍するお天気キャスターである平井信行さんの著書です。平日夕方7時前の天気予報や夜9時前の天気予報で活躍を見られます。いかにも体育会系のがたいをしていて、他のお天気キャスターとは違うその風貌が忘れられません。

 軽いエッセイ風の本です。お天気キャスターとしての体験だけでなく、お天気キャスターになるためのきっかけ、お天気キャスターしての切磋琢磨などが書かれています。クイズも収録されています。天気予報の未来の展望も述べられています。

 朴訥なところはありますが、天気に対しての真摯な態度がうかがえます。

 ここからはこの本で見つけた「天気うんちく」です。

○入道雲の重さはおよそ25万トン。
 重さを計算するには体積と密度が必要です。入道雲は縦横におよそ5km四方に広がり、厚さは10kmにもなるそうです。そして、入道雲の密度は1m3あたり0.1gから5gと推定されているそうです。ここではざっくりと1m3あたり1gとします。すると、重さを求める式は次のようになります。
    5km = 5000m
   10km = 10000m
   重さ = 1g/m3 × 5000m × 5000m × 10000m
      = 250000000000g
      = 250000000kg
      = 250000t
 ここではざっくりと計算しましたが、少なく見積もっても2万5000トン、多く見積もれば125万トンにもなります。すべてではないもののこの量が一気に降ってくるのですから、あの豪雨になるのもうなずけます。また、25万トンもの重さを支える上昇気流(低気圧)のエネルギーにも驚かされます。

○屋根に雪が10cm積もると重さは1トン
 先ほどと同じように体積と密度から計算します。屋根の広さは計算しやすくざっくりと100m2としましょう。厚さは10cmとします。雪の密度は新雪の場合、1cm3あたり0.1gだそうです。すると、重さは次のように求められます。
   100m3 = 1000000cm3
   重さ = 0.1g/cm3 ×1000000cm3 × 10cm
      = 1000000g
      = 1000kg
      = 1t
 ここでは厚さ10cmで計算して重さ1tと求まっています。だから1mの雪が積もれば、重さは10倍となり10tになります。苦労してでも雪下ろしをしないと、雪の重さで建物がつぶれてしまいかねません。

○うるう日の平年データは2月28日と3月1日の平均で決める
 天気予報でいう「平年」は過去30年分の平均値で、10年ごとに更新されます。更新されるのは西暦の下2桁が01の年。だから、次の更新は2011年、その次は2021年、といった案配になります。ここで問題になるのが4年に1度しかやってこない2月29日。他の日付に比べてデータが不足しています。そこで気象庁では2月28日と3月1日の単純平均でもって、2月29日の平年を決めているそうです。


○平井信行さんの公式サイト『空見てドットコム』
 http://www.soramite.com/

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2009年4月11日土曜日

『お天気おじさんへの道』

著者:泉麻人
発行:講談社

 コラムニストである泉麻人さんが「気象予報士」の資格を取得するまでの日々を綴ったエッセイです。

 「気象予報士」という資格に興味があってこの本を手に取りました。50歳を超える泉さんが難関である「気象予報士」試験にどう立ち向かっていったのか、そこに関心を寄せていたのです。

 けれども、この本を感じたことは別のものです。読み進めていくうちに、コラムニストである泉さんの文章の妙に引き込まれていったのです。読者を引き込む「枕」から始まり、それを受けて展開していく「メイン」。そして、オチをつけるように文章が締めくくられる。落語のようであり、起承転結の例を読んでいるようであり、読んでいて安心感がありました。伊達に長年も文筆業を続けているわけではないのですね。感心するとともに、納得がいきました。

 「気象予報士」が難関である理由も垣間見ることができました。憧れはありますが、苦労してでも取りたいかというと、やはり躊躇します。少なくとも今の職に役立つならばがんばる気にもなるのですが、とてもではないですが「気象予報士」の資格が直接役立つわけではありません。間接的には活かせなくもないですが、やはり無理があります。今は憧れで止めておきます。

 それにしても、泉さんの文章にもう少し浸かってみたい気になりました。図書館で探してみようと思います。


ネットで見て知ったのですが、新書でもこの本が刊行されているのですね。こちらもリンクとして貼り付けておきます。

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PHP新書『おとなの叱り方』

著者:和田アキ子
発行:PHP研究所

 『おとなの叱り方』なんていうタイトルがついていますが、決して「ハウツー」本なんかではありません。「大人にはこう叱るのがいい」とか「こう叱らないからダメなんだ」なんていうことは書いてありません。

 この本に書かれているのはいつも見る和田アキ子さんとは少々異なります。大胆だけどその一方ですごく繊細、そんなテレビには映らない和田アキ子さんの姿を知ることとなりました。
 和田アキ子さんの根底にあるのは「感謝」なんだろうと思います。和田アキ子さんがたくさんの人に出会い、たくさんの人にかわいがられ、そこで受け取った有形無形のもの。それが和田アキ子さんを作り上げ、そこに強い感謝の念を抱いているんですね。
 その感謝の念があるからこそ、「こいつはほっとけない」というものに出会うと、言葉を挟みたくなるでしょう。いわゆる「叱る」という動作ですが、「怒る」とは全く異なるものですし、「いじめ」なんかでは決してないわけです。和田アキ子さんの「叱る」には「愛情」が込められて、その「愛情」は「バトン」のようなものなのでしょう。和田アキ子さんがかつて受け取った有形無形のものを「バトン」という「愛情」に乗せて、ほっとけない人を叱り飛ばす。だからこそ、和田アキ子さんに付いていく人がたくさんいて、ほっとかれない存在として今でも芸能界で活躍を続けていられるのですね。

 この本を読むと我が身を振り返りたくなります。
 まずは、読み手である自分が和田アキ子さんに叱られている感覚。「おまえはこれでいいのか」と突きつけられている気分になります。けれども、決してイヤな気分ではない。不思議なものです。
 次に感じるのは、自分が渡すべき「バトン」は何か、ということです。和田アキ子さんは、それこそ冷静に自分を振り返り、渡すべき「バトン」が明確です。基準があるからこそ、ブレずに叱ることができる。それに対して、僕はどうなのだろうかと反省を促されます。
 最後に、「バトン」を渡す勇気が出ます。「愛情」を込めて、計算ではなくその相手のことを思って叱り飛ばす、そんな勇気が出ます。和田アキ子さんも書いていますが、「うるさい」「ウザい」などと思われても構わない。それでも本気で「バトン」を渡すことの方が重要なんだと思わされます。

 この本を読んで元気をもらいました。子どもの教育や部下の指導などで悩んでいる人にはお勧めの1冊です。「これからもがんばっていこう」と背筋が伸びる気分になれます。いい本です。

 全然関係ない話なのですが、和田アキ子さんって、来年2010年で60歳。還暦を迎えるんですね。おととし2007年に芸能生活40年を迎えたとも紹介されています。正直もうすぐ60歳だなんて言われてもピンときません。もっと若い方だろうと勝手に思っていました。いつかの紅白歌合戦に出場した和田アキ子さんがマイクなしで歌っていたのが強く印象に残っています。「そのまま八十歳になって、真っ赤なマニキュアとくわえタバコでブルースを歌っていられれば、それでいい。」この言葉に偽りなんて微塵もないんだろうなと感じました。

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2009年4月9日木曜日

角川oneテーマ21『若者との接し方 -デキない子どもの育成力』

著者:渡辺元智
発行:角川書店

 横浜高校野球部を束ねる渡辺監督による教育書です。渡辺監督はプロとして活躍している選手もたくさん育てていて、例を挙げればキリがありません。例えば、今年2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での優勝に貢献しMVPにも輝いた松坂大輔投手は、横浜高校が1998年の甲子園春夏を連覇したエースです。

 実践・経験を積み重ねてきている人の言葉を読んだり聞いたりしていると、教育はノウハウでは語れないのを思い知らされます。「こうすればうまくいく」「こうしなければならない」という類では語れないのを感じるのです。

 名将と呼ばれる渡辺監督ですが、その栄光に至るまでの苦労や失敗を赤裸々に語っているところに好感を抱きます。普段から選手に対してもブレない姿勢で接していて、その普段の姿がこの本にも現れているように思えます。
 これだけではありません。理想の高い方だと感じました。「こうであってほしい」「将来、このような人物になってほしい」というイメージがあって、日頃からそれをメッセージとして伝えているのでしょう。そして、それを無理強いさせるとかではなく、心で納得してもらえるように試行錯誤する。一度うまくいった方法でも、再び検討し、今にあった語りに変えていく。「目標の姿」に向けてのアプローチは、毎年毎年変えているのでしょう。そのような柔軟さも感じます。

 僕自身、大きなヒントとなったのは「チームを強くする精神的なもの」と題された第4章です。その節のタイトルだけ抜き出してみます。

○伝統は形ではなく心の中に
○やってみたい「ノーサイン野球」
○ヒントを与え、自分で考えさせる
○ミスが起こったときこそ話し合いのチャンス
○他人のミスを喜ぶことを許すな
○フェアプレーの精神を持たせよ
○ミスをカバーさせる練習を
○「オフも練習漬け」のチームが強いとは限らない
○甲子園の後遺症
○無理にチームをつくってはいけない
○エースで四番に主将をやらせることの意義
○「問題児」がチームの結束を強くする

 「人を育てる」「チームを作る」-まだまだ考えていきたいテーマです。

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2009年4月8日水曜日

『論理少女』(1・2)

著者:つじ要
発行:講談社

 講談社の『月刊少年シリウス』で連載している漫画。マンガ喫茶でその存在を偶然知り、趣味思考が僕のものと合致したので購入しました。
 僕の漫画の情報源はコンビニでの立ち読みとマンガ喫茶がほとんどです。『月刊少年シリウス』はコンビニにもマンガ喫茶にも置いてあることは少なく、今までノーチェックでした。

 中学校を舞台に「津隠問答」と呼ばれるパズルバトル(論理合戦)を出し合う漫画です。パズルの種類は古典パズルや論理パズルを中心に多岐に渡っています。劇中、数ページで収まる問題もあれば、解決までに2話以上かける長大なものもあります。

 この漫画には新しい可能性を感じるのです。

 まずは何と言っても「パズル」を題材とした「バトル」が目を引きます。
 今までも、「心理的な駆け引き」で展開する漫画や「論理的な推理」で相手の穴を突く主人公が活躍する漫画は存在していました。今までのこういった漫画は、特徴を語るのに「心理的な駆け引き」や「論理的な推理」が持ち出されていましたが、主役でありませんでした。例えば、何か事件に巻き込まれ、それを解決するのに「心理的な駆け引き」や「論理的な推理」が必要となる、といった類です。あくまでも事件に巻き込まれた主人公たちがどうその困難を乗り越え、その後にどうなるかにスポットが当てられていました。
 ニンテンドーDSのソフト『レイトン教授』シリーズも「ナゾ解き」がモチーフで、画期的な作品です。ストーリーの中に「ナゾ解き」を折り込み、プレーヤーがその「ナゾ解き」に参加する。今までなかったものです。けれども、ストーリーそのものは「ナゾ解き」がなくても充分に成立可能です。(成立可能と面白さは別です。「ナゾ解き」がなければこのソフトの魅力がかなり薄くなるのは語るまでもありません。)
 その一方、この『論理少女』は「パズル」が存在しないと意味を成しません。そのような舞台設定を作り上げることに成功しています。主役として「パズル」をモチーフにしているのは画期的でしょう。

 『論理少女』が切り開く可能性の2つ目。それはパズルの問題集が今までできなかったことが成しうる可能性を持っている点です。
 推理小説に推理漫画。単純に言ってしまえば犯人かトリックがあり、それを探すものです。その手がかりは劇中に示されます。劇中に書かれていないことは手がかりとなりません。劇中の描かれているもの、またはそこから論理あるいは連想で結び付けうるものだけが手がかりです。これはお約束です(※)。

(※)これが「お約束」だとすれば、きっと「約束破り」な作品も存在するのでしょうが、少なくとも僕はタイトルを挙げることはできません。でも、こういった「アンチ」はきっと存在することが予想できます。

 このお約束に対して、推理漫画は推理小説にできなかったことを切り開きました。推理小説の手がかりは、原則として文章で示されます。それに対し、推理漫画が提示する手がかりは文章(=セリフ)だけではありません。絵も大事な手がかりです。漫画という表現方法で、その手がかりを直接文章では書かずに、絵の中に忍び込ませることが可能になったのです。手法として確立したのは『金田一少年の事件簿』でしょうか。『名探偵コナン』『Q.E.D.証明終了』など他の推理漫画でも見られます。
 『論理少女』にも同じような傾向を感じます。
 ネタバレしないように例を挙げてみます。
 1巻「指定かくれんぼ」。解決のきっかけとなった最後の手がかりは、セリフでは書かれていないものの、不自然でなく出題前からずっとコマに描かれていました。あまりにも堂々と描かれているので、むしろ気がつきにくくなっています。
 2巻「1379集め」にも見られます。ルール説明をしている160ページの「1~100の数字がランダムに転がっています」と書かれた1コマ目。このコマに危機突破のカギとなったものがしっかりと描かれています。セリフではふれられていません。けれども「1~100の数字がランダムに転がっています」のセリフのあるこのコマにこの手がかりが描いてあるのポイントです。その上、この手がかり、この後は解決するまで意図的に隠されています。
 パズルというと問題やヒントが文章や図版で示されるものです。少なくとも「論理パズル」では、そこに書かれているもののみを手がかりとします。漫画という手段で描く『論理少女』は、手がかりを直接的にだけでなく間接的に描くことが可能になりました。大げさに表現してしまえば、パズルの大家であるサム・ロイドやデュドニーができなかった可能性を手にしているといえるのです。著者であるつじ要さんが意識しているかどうかわかりませんが、うまくすればパズルの世界に楔を打ちえるかもしれません。

 舞台は調っています。キャラクターもそろいました。一般の人にふりまく話題の準備はできています。今はまだ用意しているネタを1つ1つ料理しているところでしょう。正念場はそのネタが尽きてから始まるものと思っています。追い込まれてからもなお良質のネタが提示できるのであれば、「忘れられていく漫画」ではなく「記録として残る漫画」の1つとなるでしょう。

 非常に期待しています。『論理少女』の作品とともに筆者のつじ要さんにも注目していきたいです。


■ゲーム

○『レイトン教授』3部作
 この3部作で終了予定だったのが、次回作の制作が発表されました。ファンとしては「嬉しい」知らせです。

○『レイトン教授』関連グッズ
 『レイトン教授』のサウンドトラックが出ています


 左から攻略本に小説、コミックスまで


■推理漫画

○『金田一少年の事件簿』最新刊

○『名探偵コナン』最新刊

○『Q.E.D.証明終了』

こちらに右の『Q.E.D.証明終了 ザ・トリック・ファイル』の記録と、テレビドラマ『Q.E.D.証明終了』最終回を見て感じた記録を残しています。


■パズル本

○『巨匠の傑作 パズルベスト100』
 サム・ロイドとデュドニーの生い立ちや今にも残っているパズルの数々が気軽に味わえる1冊です。手に入りやすさもあってお勧めです。


○書き記すまでもなくどうでもいいことなのですが、意味段落・形式段落の始めに1字下げをすることにしました。ウエブの文章ではまだまだ揺れている段階ですが、読みやすさ優先で下げてしまいます。しばらくは段落は全部1字下げ、意味段落の前はさらに1行空けで書いていきます。
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