2009年5月23日土曜日

生活人新書『鉄棒する漱石、ハイジャンプの安吾』

著者:矢島裕紀彦
発行:日本放送出版協会

 

 先日読んだ『よりぬき読書相談室 どすこい幕の内編』で紹介されているのを読み、この本の存在を知りました。

 国語や歴史の授業で登場する文豪たちとスポーツの関係が記されています。タイトルにもあるように、『坊っちゃん』『吾輩は猫である』の夏目漱石は学生時代、器械体操が得意だったというのです。『堕落論』の坂口安吾はハイジャンプ競技でインターミドル全国大会を優勝しているというのです。そんな意外なエピソードが25編収められています。
 その筋の人にはおなじみなのかもしれませんが、個人的には「三島由紀夫とボディビル」のエピソードにグッときました。

 文豪と呼ばれる作家たちとスポーツの関係の意外性が面白いのです。あんな重苦しい小説を書いているのに、オフでは体を動かしていた。そのギャップがたまらないのです。今も昔も生活にメリハリを持ち、バランスよく暮らさなければならないのには変わらない。そんな当たり前のことに気づかされます。

 この本を読むと、文豪たちに対する意識が変わります。どこからか親近感が沸きます。国語(特に文学史)が嫌いな生徒に読ませると興味を抱くかもしれません。その子が体育会系ならなおさら効果を発揮する可能性があります。国語の先生にとっても授業中に話すネタにもなります。
 各作家の解説が丁寧に書かれているのもポイントが高いです。資料集などに掲載されているような下手な解説なんかより、この本の方がよっぽどわかりやすくまとめられています。

 作家たちがスポーツに励む姿が想像できるのも、筆者・矢島裕紀彦さんの筆の力なのでしょう。素朴だけどもいい本です。すべての人が興味を持つとは限らないけれども、誰が呼んでも楽しめる懐の深さがあります。興味を持った人はぜひ手にとって欲しい1冊です。


○Web本の雑誌より読書相談室 「いろいろな作家の面白いエピソード」
 本に掲載されていた質問へのリンクです。質問2006/03/05~回答2006/03/18のところにあります。ページ後半の方にあります。
 http://www.webdoku.jp/soudan/answer/view_date.php?date=2006/03/18

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2009年5月22日金曜日

『漫画の時間』

著者:いしかわじゅん
発行:晶文社

 
※左はソフトカバー版、右は文庫版

 漫画家いしかわじゅんさんによる漫画書評本です。100の書評の中に100以上の漫画が扱われています。

 この本の中で、「そうだよなあ」と感じ入ったのは次の文です。

 このへん、個人的な好みなのだが、ぼくは、悪人の出てこないハッピーエンドの話が一番好きだ。読むのも好きだし、自分でもそういうものしか描かない。
( …中略… )辛い物語を好きな人は、それを読めばいい。ぼくは、いい人の出てくる楽しい話が好きなのだ。
(p.91より引用)

 僕もまったく同じです。辛い話を読むと、自分まで辛い気持ちになってしまうのです。ヒドイときには、辛いのに我慢できなくなって読んでいる漫画を閉じてしまうこともあります。まるで怖い絵本を読んでいる子供のようで、なさけないのですが。『図書館戦争』シリーズの有川浩さんが語る「登場人物が全力で幸せを追い求める」のが一番好みです。

 ここで引用した例に限らず、この本の中にはいしかわさんの漫画に対する愛があふれています。100冊近い漫画雑誌のほとんどの漫画に眼を通すといいます。主だったものも、ヘタなのも、うまいものも、妙な絵柄なのも、変わったストーリーのものも、時間のある限り読むと本文で述べています。

 多数の漫画を読んでいるいしかわさんだけあって、漫画に対するこだわりは相当なものです。本文の中からそのこだわりが滲み出ています。少し残念だなと思うのが、こだわっているのはよくわかるのですが、こだわりの中身がいまいち伝わりにくいのです。
 その原因はいくつかあるでしょう。一番大きいのは、いしかわさんの織り成す文体でしょう。上から目線であったり、棘のある攻撃的な書き方だったり。中身を読み解く前に、文体で引いてしまう人もいるかと思います。実に残念なことです。
 他に考えられる原因は、自分の常識は世間の常識と見なしてしまっていることでしょうか。表現を改めれば、自分の前提は世間でも同じ前提を持っているということでしょう。

 上手な漫画読みになるための簡単な方法がある、と言います。その方法とは〈うまい絵〉〈うまい漫画〉をたくさん読むことだ、と言います。では、〈うまい絵〉〈うまい漫画〉とは何か。5つの項目に分けて説明しています。その項目を列挙します。

一.オリジナリティを見ろ
二.工夫を見ろ
三.手抜きを見ろ
四.洋服を見ろ
五.動きを見ろ

 項目だけ見ても、本文を読んでみても、わかったようなわからないような気分になります。その理由は簡単で、漫画をたくさん読んでいる人には納得できるのでしょうが、そうでない人には「ふ~ん」と思ってしまうのです。大前提である「たくさん読む」ことが大きな壁になっています。
 この話、『文章読本さん江』で著者の斉藤美奈子さんが指摘していたことにもつながります。数々の文章読本で「美文・名文を読め」と指示しているけれども、「美文・名文とは何か」に答えている文章読本はないそうです。それらしき表現を探しても「読者が気に入ったものが美文・名文なのだ」のようなものに落ち着いてしまっているそうです。

 この本のターゲットがどこに向けられているのかはわかりません。僕のようにそこまで多く漫画を読まない人にとっては「ふ~ん、こんな漫画もあるんだ」という気分になります。けれども、この本で石川さんが伝えたいことを受け止められているかといえば、自信がありません。読書量が違うからでしょう。その意味において、この『漫画の時間』は「漫画読みにとっての究極の漫画評論」なんだなあと思ったのでした。手垢のついた表現をすれば「漫画読みの漫画読みによる漫画読みのための漫画評論」です。

 好みは分かれるでしょうが、漫画好きならば手に取る価値がある1冊です。文体で気になるところがあっても我慢して読めば、漫画の読み方に対する視野が開けてくるかと思います。


○『漫画ノート』『秘密の本棚』
 いしかわじゅんさんによる漫画書評です。

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アフタヌーン新書『オタク成金』

著者:あかほりさとる、天野由貴
発行:講談社

 

 想像以上に面白い本でした。

 立ち寄った本屋で偶然眼に留まり、手にとってパラパラ読み始めたら、そのまま夢中になって、気がついたら第一章を読み切っていました。それだけ没頭させる力がこの『オタク成金』にはあります。
 正直『月刊アフタヌーン』で宣伝を見たときには、まったく興味が沸きませんでした。宣伝の淡白さと本書の力強さがまったく噛み合っていない(不名誉な)例だろうと思います。

 この『オタク成金』は、小説家であり脚本家であり漫画原作者であるあかほりさんの栄光を描いたものです。けれども、栄光だけではありません。2度にわたる挫折。そして、挫折という谷底からの復活を描いたものです。

 この本にはあかほりさんの栄光の秘密が赤裸々に書かれています。その秘密は「自分は才能で一番にはなれない」と見切って「戦略」で勝負を仕掛けたことにあります。
 あかほりさんがとった戦略を列挙してみます。

▼エンタメ・物書きは「サービス業」と割り切って、読者への愛をわかりやすく伝えなければならない。けれども、「ご機嫌うかがい」や「媚び」ではいけない。
▼サービスするには、読者が何を望んでいるかを知らなくてはならない。
▼本を読む層はクラス40人の生徒のうちわずか5人。本を読まない35人に売り込むために、誰にでも読める「ライトノベル」(※1)の文体を開発した。
▼一部の原作者や会社だけが儲けるのではなく、皆が儲かるメディアミックスの形を作った。このメディアミックスの手法は知らない人に広く知らせるのに貢献した。(※2)
▼生き残るためには新しいことを続けなければいけない。ここでいう「新しさ」とは、従来のターゲットの外からこちら側の業界へ誘導するためのモノである。
▼毎月本を刊行して常に平積みされる状態を作った。本屋に本が並んでいるのも広告であるという観点。
▼誰かにモノを習うことは、技術を学ぶ以上の価値がある。それは「時間」を買うことと「人脈」を買うこと。けれども、「本質」は買うことができない。
▼自分のことを叱ってくれる人は貴重。
▼「いつか一緒に仕事しましょう」と編集者に誘われて、翌日に企画書を持っていった。チャンスがあったら即行動。

(※1) 今、出版されているライトノベルは状況が違うようです。SF化・マイナー化・新本格化が進み、「40人中の5人のための小説」になってしまっているそうです。
(※2) 従来は、マンガor小説を原作としてそこからアニメ・ゲームを作る「トップダウン式」で、派生のアニメ・ゲームがヒットしても、原作のマンガor小説しか潤わないものでした。

 エッセンスをかなり絞り込みました。本書ではライトノベルの書き方にも大きくページを割いているのですが、ここでは割愛します。(マンガ・アニメ・小説・ゲームなどの原作や脚本に関わる人には絶対にお勧めの内容です!)
 あかほりさんが追求してきたことは「普通をしない」ということでしょう。周囲と同じことをしたのでは、生き馬の目を抜くような厳しい業界では生き残れません。生存競争に勝ち抜くための手段が、このような「普通ではない」活動に行き着いたのでしょう。
 同時に、業界全体に目を配る姿勢があったことも付け加えなければなりません。自分1人だけ旨みを取るのではなく、関わる人にすべてに旨みを共有する。それが次への活力を生み出すことをわかっているのです。Win-Winの発想です。

 この業界で20年近く生き抜いてきたあかほりさんだからこその説得力のある言葉です。そんなあかほりさんから発せられる言葉。ときに魂からの熱いメッセージがこめられます。しびれるものがあります。

 だってこの業界、努力はして当たり前だから。努力で差がつくなんて、そんなこと思っちゃいけねぇんだよ。(p.93)

 作家には“こういう子を書きたい”“この子、こんなに可愛く書きたい”っていう、欲望が大事なんだから。(p.97)

 エンタメってのは基本的に儲からなきゃダメなんだよ。なんでか。
 お金持ちになれないから? 売れなきゃ貧乏するから?
 違うんだよ! それは、この業界でずっと喰っていくためなんだよ。
(p.172)

 モノを作る人間が評価されなかったら、それはクリエイターじゃなくて、ただモノを作っているだけの人間だよ。(p.175)

 映画人がハリウッドに憧れるように、漫画の世界では、日本がハリウッドなのよ!
 だから俺、感動したのよ! そうか、俺、ハリウッドで働いているんだ、と。
(p.193)

 本文をずっと読んできて、あかほりさんの「あとがき」を読み、天野さんの「あとがき」を読み、残り1ページを残すだけになって「あぁ、あかほりさとるさんって、こんなにカッコイイ人だったんだ」と再認識していました。で、最後の1ページをめくったら、天野さんも「あかほりさんは、日々自分自身と戦う、カッコイイオタクでした。」と同じことを書いています!
 これにはびっくりしました。感覚というか認識というかがシンクロしたようで、むず痒いような恥ずかしいような不思議な気分でした。

 あかほりさとるさんの「すごさ」と「カッコよさ」を引き出したのは、天野さん手腕によるところが大きいです。天野由紀さんがインタビューする形をとった、というのが、大アタリだったように思えるのです。
 あかほりさとるさんは「オタク」。その一方、天野さんはオタクとは対極の位置にいます。オタクに対する知識も素養もありません。むしろオタクを色眼鏡で見ている、まあ、いわゆる「一般ピープル」。オタク言語に無縁の一般ピープル代表の天野さんがあかほりさんのオタク言語を「翻訳」しながら、時に「ツッコミ」ながら、話が展開されていきます。
 そんな天野さんがあかほりさんの話を聞きながら、オタクに対する誤解を解いていき、オタクに対する見方を変えていきます。天野さんが理解していくペースで本が展開されていきます。その理解テンポを読者が追体験でき、非常に読みいいものに仕上がっています。

 「何も知らなかった」からこそ「わかりやすい本」になった好例です。
 勉強しながら、その理解テンポをリアルタイムで再現することで初心者に優しい本になるんですね。これって、解説書(参考書、初学者用の本、……etc)に応用できるテクニックになりえるかもしれません。

 エンタメ業界の人だけでなく、一般のビジネスパーソンも学ぶことは多い本です。「オタク」という言葉に色眼鏡を持つことなく、ぜひ手にとって欲しい本です。


【追記】
 ネットにアップされた『オタク成金』の感想を読んできました。
 正直言えば、「読める人」と「読めない人」の差があまりにも大きいのに愕然としました。
 言葉単位、文節単位で文意をすくい取ろうとして、筋違いな勘違いをしている「読めない人」が多いのですね。布石とか伏線とか台無しです。そもそも読んでいない人も多そうですし。何というか、この本で描かれている「プライド高き弱いオタク」の姿がはからずも再現されていて、なんとも滑稽でした。
 「40人中35人」に届けるのって難しいですね。

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手書きポップを作ります!

 ちょっとした思い付きです。これから読んだ本のポップを勝手に作り、勝手にアップしようと企んでいます。(「企む」なんて書くと大げさですが……)
 誰かに頼まれたわけでもなく、ただただ作ってみたい。動機はそれだけです。

 限られたスペースでどう魅力を伝えていくのか、腕がなります。ちょっとした修行のつもりで続けていければと考えています。どうぞよしなにお願いいたします。

2009年5月17日日曜日

カッパブックス『ブルボン小林の末端通信 Web生活を楽にする66のヒント』

著者:ブルボン小林
発行:光文社

 何冊も読んできたブルボン小林さんの本です。けれども、ここの備忘録ブログに記録を残してからは初めてのようです。
 今回読んだのは『ブルボン小林の末端通信 Web生活を楽にする66のヒント』。裏表紙の裏(出版用語で言うところの「表3」かな?)には「本書は初の単行本」と記されています。1972年生まれで、2003年発行とあります。31歳のときの著書ということになりますね。

 僕は先日30歳になったばかり。僕にはこれだけのことが書けるかといえば。というより、これだけの観察眼を持っているか。答えは「否」。この頃からすでにブルボン小林さんには、独特の眼と独特の切り口を持っていたんですね。こんなことを改めて感じました。

 タイトルに「ブルボン小林の」と自身の名前を入れているのも戦略なのでしょう。自分の名前をいかに売るか。手っ取り早いのが、コラムのタイトルや書名に自分の名前を入れてしまうこと。今までのブルボン小林さんの著作やコラムのタイトルを見ると、過去のものほど名前が入っている割合が高いような気がします。偶然なのかもしれませんが、結果的には戦略的にうまくいっている気がします。いかんせんインパクトのある名前ですし。
 そういえば、この本を読むと、ブルボン小林さんの名前の由来がわかります。

 思い出したかのように本の内容について触れますが、一言で表せば「ヒント」です。基本的なスタンスが「どこでもいつでも僕はくだらない話をしていると思います」(「おわりに」より)なのでしょう。実用書のはずなのに実用性はありません。タイトルに「Web生活を楽にする」なんてありますが、あまり楽になった気分はしません。だからといって価値がないわけではなく、充分に面白いのです。だから、いいのです(なんか「これで、いいのだ!」みたいな表現です)。

 古い本なので書店では見つけづらいかもしれません。図書館や古本屋の方が発見は早いでしょう。くだらなさを楽しめる人にはぜひ読んで欲しい1冊です。


■自分の読書記録よりブルボン小林(長嶋有)さんの本

○『電化製品列伝』(長嶋有・名義)
 小説(など)に登場する電化製品に注目した、長嶋有さんによる世にも珍しい書評です。
 http://bookdiary-k.blogspot.com/2009_04_01_archive.html#1481613097179981111

○『ぼくは落ち着きがない』(長嶋有・名義)
 高校の図書部に所属している主人公・中山望美が他の部員と過ごす学校生活を描いた小説です。
 http://bookdiary-k.blogspot.com/2009_05_01_archive.html#3142205083152618921

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2009年5月16日土曜日

新潮新書『政党崩壊 永田町の失われた十年』

著者:伊藤惇夫
発行:新潮社

 衆議院選挙の足音が聞こえてくるようになって、政局がバタついているようです。バタついているのもわかるし、現象として起きていることもわかるのですが、いまいち納得できない。そんな思いがニュースの報道を見ていると沸き起こります。結局この人たちは何を考えていて、何を目指しているのか。そんな問いが頭の中から離れません。

 この状況を打開するには、歴史から学ぶのがいいのではと直感的に思ったのです。本当に直感でした。そこで図書館に行き、手に取ったのがこの本。
 自民党、新進党、太陽党、民政党、民主党と渡り歩き、政界の裏舞台で活躍した方が書いています。激動の新党ラッシュの頃に、政治の世界に身を置いた方です。迫力がありました。

 本の内容は大雑把に書けば「平成政治史 ~政党編」といったところです。リクルート事件を端緒とする政局のゴタゴタ。当時、僕は小学生~中学生だったので、政治にあまり興味を抱くことなく過ごしていました。その頃に起きたことが、この本では丁寧に解説されています。しかも、ただ事件を追いかけるだけではありません。政党に、そして、人物にスポットを当てて書いているからこそ、臨場感が生まれています。ただのルポで終わらない生々しさがあります。

 僕はこの本を読みながら、自前で年表を作りました。巻末にも年表がついているのですが、総覧的で僕には使いこなせなかったのです。スポット・スポットだけ抜き出しながら年表を作る作業は思いの外楽しめました。年表を作りながら、ああこの頃、自分は○歳だったのだな、なんて当時を振り返ったりもしました。

 勉強になりました。政治に興味はあるけれど、なんだかよくわからないという人にお勧めです。当時の人物の気持ち・考えを追いかけていくだけでも充分楽しめます。
 2003年発行ということもあり、小泉内閣がもたらしたものについては書かれていません。次の課題なのかなと考えています。同時に伊藤惇夫さんの著書も追いかけてみたいです。

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『宙のまにまに』(6)

著者:柏原麻実
発行:講談社

 『宙のまにまに』第6巻。(物語上)2年目の七夕から2学期が始まるまでの夏が描かれています。7話のうち3話が夏合宿のドラマに割かれています。この3話が朔の心的成長を丹念に追いかけられていて、この成長が後の物語を牽引する伏線になっています。この夏合宿が大きなエポックになりそうです。

 夏合宿をきっかけに朔に自信が生まれ、大きく成長していきます。

 1つは「好きから始めていいのだ」と気づいたこと。
 合宿の前と後とで、セリフに大きな変化が見られます。

合宿前(第37話)
受験…進路…自分の進むみち…か…オレの中にあるものと言えば…本が好きな自分それだけでどこまでいけるだろう……

合宿後(第42話)
夏休みの終わり…小説を書き始めたそれが今自分なりに出来ることだと思ったから

 合宿前には、ただ思い悩むだけで「みち」を進むのを逡巡しています。行動を起こせないでいます。これが合宿終了後に一変。「自分なりに出来ること」をすることから始めようという意思が感じられます。その成長を朔自身が感じているようです。この後に続く言葉「この街で今ぼくは前に進んでいる」が象徴しています。
 蛇足ですが、変わったのはセリフだけではありません。合宿中の朔の口元を追うと、自身を持ってからは口角が上がっています。言葉だけを追っていると見逃してしまいそうですが、絵でも成長を表現しているのがわかります。

 2つ目は、朔が与えられる側から与える側に変わったこと。
 第42話「茜色のメッセージ」は、生徒会長こと琴塚が朔に背中を押され、小説を書くことを決意する話です。見方を変えれば、朔が初めて背中を押す役割を果たした話といえます。第42話以前、朔は背中を押される側でした。しかも、年上の女性ばかりに。ところが、この第42話でようやくレベルが1つ上がりました。

 合宿での朔の精神面の成長は1つの新しい可能性を示唆しているように思えます。『ラブひな』になりえるという可能性です。
 『ラブひな』は週刊少年マガジンに連載していた赤松健さんの漫画。東大合格を目指す浦島景太郎が女子寮で繰り広げるラブコメです。主人公・浦島景太郎ははじめ情けない男として描かれていました。ところが、物語が進むうちに成長し、頼れる存在になります。その主人公が物語から一旦退場し、代わりにヒロインが情けない存在として描かれ主人公になっていきます。
 『ラブひな』の主人公交代劇は、いわば、物語の「延命」措置でした。「主人公の成長物語」という命題があったとき、主人公が成長してしまえば物語は原則として幕を閉じます。恋愛物語とは多少異なる点(※)です。

(※) 「恋愛物語」は原則としてヒーロー・ヒロインがカップルになるのが当初の目的です。目的が果たされば、物語は幕を閉じるのが原則でしょう。成長物語において主人公の成長が果たされたとき、幕を閉じるのと同じです。しかし、恋愛物語の場合には、カップルに破局を思わせる危機を与えてるという試練を与えることができます。そうすることでドラマは盛り上がり、さらに想いの深さ(愛の深さ)を知ることになります。

 『宙のまにまに』は「学園物」の宿命として卒業が待ち受けています。物語の時の流れで2年目、ヒロインである美星の卒業は避けられません(留年でもしない限り)。ステレオタイプな考え方をすれば、ヒロインの卒業と同時に幕引きでしょう。けれども、やはりファンとしては少しでも長く連載が続いて欲しいというのが希望なわけで。僕は、この朔の成長が壮大な種まきに感じられるのです。期待をかけすぎでしょうか?

 今の話題と関係あるようで、関係ない話です。第37話「夏が来たということは」、後ろから数えて2ページ目に書かれた朔のモノローグが意味深なものに感じませんか?

けたたましいセミの声と土のにおいを含んだ空気…一緒に過ごす最後の夏がはじまろうとしていた――――――――…

 この合宿編、まだまだ見所があります。
 合宿初日、1人で鏡材を磨く朔のもとに杏がやってきます。その手には飲み物が2本。一方、合宿最終日には、星を1人見上げる美星のもとに朔がやってきます。その手にはやはり飲み物が2本。ちょっとした相似の関係のようです。
 その後の朔と美星が手をつないで空を見上げているシーン。よく見ると美星の服装が変わっています。星見のときの機能性重視の格好ではなく、「単品スカート」。同じコマに書かれたモノローグが朔のものであることから、きっと朔の心象風景なのでしょう。でも、この風景が伝えるものは何でしょう。想像すると、いろいろと頭を駆け巡ります。
 それにしても、合宿編3話とも笑が完全にオチ担当になっています。愛すべきいいキャラクターです。柏原さんの愛がこもっています。(他のキャラクターにも、もちろんそのキャラクターに相応しい愛が注がれていますよ。)

 「恋愛物語」としての『宙のまにまに』は他の人たちもたくさん感想を書くので、僕がわざわざ書くこともないのでしょうが、これだけは書き残しておきます。
 第40話での合宿3日目のこと。花火大会のさなか、2人っきりになる朔と杏。せっかくの2人っきりなのに思惑がすれ違っています。言葉を発しない2人。美星を探してキョロキョロする朔。それに気づいてしまう杏の表情。握手を申し出る杏。がんばれの想いのこもった握手。美星の居所を伝える杏の笑顔。「え!?」と驚く朔にニコッと微笑む杏。
 この後、朔の後ろ姿を杏はどんな表情で見送ったのでしょう。描かれていないからこそ、想像が掻き立てられます。
 ちなみに6巻の中に同じようなシチュエーションの女の子たちが描かれています。七夕まつりで告発不発に終わった後の姫。美星が心配していたことを野辺山高原で告げた後の小夜。朔を迎えに来たのに遠慮してその場を去ろうとする美星。隠された目元、うつむいた顔、後ろ姿、どれも想像の余地が残されています。女の子たちの憂いや切なさや戸惑いなど、一言で書けない想いが覗けるようです。

 『宙のまにまに』が浅くも深くも楽しめるのに気づいてきました。テキスト部分だけ読めば、筋を楽しむことができます。漫画を読むスピードが速い人たちは、このテキスト読みが中心ですよね。それに対し、絵の隅々まで、それこそ、絵で表現されていないところまで想像しながら読むと、さらに深みが増します。読み直すたびに新しい発見があります。
 エンターテイメントとしても作品としても両立しているすごさ。感服します。浅さも深さも兼ね備えているのって、同人誌やss(side story/short short)を始めとした同人誌向きだと思うのですが、どうなのでしょう。まだあまり数が出ていないようですが。これから出始めるのでしょうか。
 『宙のまにまに』が何巻まで続くかわかりません。2年目の秋・冬を描いて、8巻で終わる。カバー見返しの88星座紹介を見ると、その布石なのではと予感させます。一ファンとしては、少しでも長く読んでいたいというのが偽らざる願いです。作者の柏原さんには体に気をつけながらも、がんばって欲しいものです。


【はみ出し小ネタ】
 上の文章に書ききれなかった些細なネタです。おつまみ的にどうぞ。

第36話「七夕想い」
 姫が朔にいよいよ想いを告げるのかというシーン。その緊張を破って茂みから登場した江戸川。その登場時の姿が「グリコのマーク」。まさか偶然? いや、きっと、多分意図的に違いない!

○(参考)グリコのマーク
 歴代のグリコのマークが見られるサイトです。
 http://www.glico.co.jp/kinenkan/goal/goal1.htm

第41話「ナツイチ。」
 はるきのお姉さんたちが登場する第41話。長女から順に秋子、小冬、千夏、そして末っ子のはるき。さらに、お母さんの名前が節子。四季そろい踏みです。
 ページは変わり、朔が目覚めるシーン。太陽が低い位置にあって、外から「カナカナカナカナ」と鳴き声が聞こえます。ヒグラシの鳴き声ですね。「日暮」と漢字で当てることもあるとおり、夕方に鳴き声をよく聞きます。

※6巻とは関係ありませんが、『月刊星ナビ』で4月号~6月号と、3ヶ月連続で『宙のまにまに』アニメ化の特集記事を組んでいます。特に5月号は柏原さんへのインタビューです。アニメ専門誌より先行して濃い情報が書かれていて、お勧めです。


○柏原麻美さんのサイト「はらっぱ商店街」
 http://members.jcom.home.ne.jp/mmk1999/

○アニメ『宙のまにまに』公式サイト
 http://www.mmv.co.jp/special/soramani/

○『ラブひな』(11)
 上で紹介した赤松健さんの『ラブひな』。主人公が一旦退場する11巻です。

○雑誌『月刊星ナビ』2009年4月号~6月号
 『宙のまにまに』アニメ化の情報が掲載されています。

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2009年5月15日金曜日

『ピタゴラスの三角形』

著者:B.シェルピンスキー
訳者:銀林浩
発行:東京図書

 タイトルの通りの内容です。ピタゴラスの定理(三平方の定理)から派生する定理が多数掲載されています。微分積分などは使わず、初等的な手法で証明されています。ただし、背理法・無限降下法がたびたび登場するので、慣れていないと読み解くのに苦労するかもしれません。

 ヒントになりそうな主だった定理をここにメモ代わりに引用します。証明は本書を探してください。
 ピタゴラスの定理x2+y2=z2において、x,y,zの組を(x,y,z)と表し、ピタゴラス数と呼ぶことにします。また、x,y,zの最大公約数が1(既約)であるとき、(x,y,z)を原始ピタゴラス数と呼ぶことにします。なお、断りのない限りx,y,zはすべて自然数です。


■倍数関連
▼(x,y,z)は原始ピタゴラス数とする。

(1) x,y,zのうちどの2つをとっても互いに素。
(2) x,yのうち片方は偶数で、もう一方は奇数。zは奇数。
(3) x,yのうち片方は3の倍数。
(4) x,yのうち片方は4の倍数。(3)(4)はx,yの片方に重なる場合もある。
(5) x,y,zのうちいずれか1つが5の倍数。
(6) x,y,x+y,|x-y| のうちいずれかは7の倍数。
(7) 面積は6の倍数。


■一般式

(8) m,nが以下の条件を満たすとき、yが偶数である原始ピタゴラス数がm,nによって一意にすべて求まる。
 ・m,nは互いに素な自然数
 ・m>n
 ・m,nは他方が偶数で、もう一方が奇数
 ・x=m2-n2  y=2mn  z=m2+n2


■特別なピタゴラス数

(9) x<y<zである1辺の長さが100未満の原始ピタゴラス数は16組。
(10) x<y<zである1辺の長さが100未満のピタゴラス数は50組。
(11) 等差数列をなすピタゴラス数は(3,4,5)あるいは、それと相似形の直角三角形(3k,4k,5k)に限る。(kは任意の自然数)
(12) xとyが1違いである(x,x+1,z)は無限に存在する。これはすなわち、直角二等辺三角形に限りなく近似できることを示す。


■平方数

(13) 周の長さが平方数である最小の原始ピタゴラス数(x,y,z)は(16,63,65)。
(14) zが平方数となるピタゴラス数は無数に存在する。
(15) x,yのうち一方が平方数となるピタゴラス数も無数に存在する。
(16) x,yがともに平方数とあるピタゴラス数は存在しない。
(17) x,y,zがすべて平方数となるピタゴラス数は存在しない。(フェルマーの最終定理においてn=4)
(18) 面積が平方数となるピタゴラス数は存在しない。


■内接円、外接円、傍接円
▼(x,y,z)を原始ピタゴラス数とする。

(19) 内接円の半径は整数。
(20) 外接円の半径は分母が2の分数。
(21) 傍接円の半径は整数。


■その他

(22) 以下の条件を満たす、座標(x,y)が無数に存在する。
 ・(x,y)は単位円周上の点。すなわち、x2+y2=1
 ・x,yはともに有理数。
 ・xは、勝手な実数α,β(0<α<β<1)に対し、α<x<βを満たす。
(23) 任意のθ(0°<θ<90°)に対し、角θにいくらでも近い鋭角を持つ有理数辺(自然数辺)の直角三角形が存在する。
(24) 3辺が自然数の逆数で表される直角三角形は無数に存在する。分母が最小の解は、x=1/152,y=1/202,z=1/122
(25) 3辺、および、対角線の長さがすべて自然数で表される直方体は無数に存在する。3辺、対角線の長さを(x,y,z,t)で表せば、(1,2,2,3)、(2,3,6,7)、(1,4,8,9)、(3,6,6,9)、(4,4,7,9)、…などとなる。


 ここに引用し切れていない定理もたくさんあります。マニアックで、数学好きには興奮できるでしょう。1993年発行なので、書店では見つけづらいかもしれません。図書館や古本屋でどうぞ。

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2009年5月12日火曜日

『ぼくは落ち着きがない』

著者:長嶋有
発行:光文社

 長嶋有(ブルボン小林)さんの本を手に取る機会が増えています。今回読んだのはコラムではなく小説。高校の図書部に所属している主人公・中山望美が他の部員と過ごす学校生活を描いたものです。

 出だしからグッと引き付けるものがあります。

 西部劇だ。
 望美は思う。両開きのドアを勢いよく押し開け、さっと中に入る。入った後も背後では、まだ扉がゆらゆらと揺れる気配がしている。

 図書室の入り口にある観音開きの扉を開けて、主人公の望美が入ってくるシーンです。西部劇の酒場を連想させる両開きの扉。扉を開けて入ってくるだけのシーンなのに、どこか緊張感があります。グッと引き込まれます。この冒頭の文を読んで、続きを読みたい衝動に駆られました。
 小説の舞台は図書室という狭い空間です。それなのに、挟み込まれる妄想(?)や引用される小説や漫画・映画のおかげで、小説の世界が広がっています。
 それにしても、書きたかったのでしょうね、「西部劇」って。ニヤニヤしながら書いたんじゃないでしょうか。はやる気持ちを無理に落ち着かせながら、努めて冷静に書いている姿が浮かび上がります。

 小説の中の電化製品にスポットを当てた『電化製品列伝』を読んでいた影響で、『ぼくは落ち着きがない』を読んでいても電化製品に目が行きました。数種類登場する電化製品の中でも、特に目を引いたのはコピー機です。
 紙の束をコピー機にセットするとき、かつては紙に息を「ふっ」と吹きかけていました。紙と紙のすき間に空気を入れて、重送しないようするためです。小説の中にそんなシーンが描かれています。懐かしくなりました。

「『ふっ』ってやるの」いいながら、束を渡す。
「ふっ?」手渡された堀越さんは自分がそうされたみたいに、くすぐったそうな顔。四月ごろだったか、沙希も、すぐに来なくなった一年生もそんな顔をした。

  ( 中 略 )
 堀越さんはふーっと息をふきかけた。
「もっと強く」離乳食を冷ますんじゃないんだから。
「アハハ」堀越さんは笑う。望美も少し笑う。自分の今の喩えが、けっこう的確だった気がして。

 長嶋さんが描く「懐かしさ」は、読み手に「そうそう、あるよね」ていう郷愁の想いを引き出します。
 けれども、このシーンを読んで引き出されるのは懐かしさだけではありません。「懐かしさ」だけじゃない新しさがあります。紙の束に息を吹きかけるとき、息の強さに注目しているのが僕にとって新鮮でした。言葉になったその文章を読んでみて、そうなんだよなと感じ入ってしまいます。懐かしいのに新しい。新しいのに、なぜかそんな経験をしたかもしれないと思わせる。ここに独特の空気があります。

 図書室が舞台になっていることもあり、本もたくさん登場します。主人公・望美の口を借りて、著者・長嶋さんの本に対する想いが述べられます。

 そういえば文学好きで、ベストセラー本を馬鹿にする人がいるけど、そんなのおかしい。クラシック好きが演歌を馬鹿にしているようなものだ。
「私たちの好きな本を馬鹿にしている」という綾の考え方は、だからこそ発生する。それは逆にいうと、望美が読んでいる本を差別している考え方でもある。

 もう1箇所引用します。

 でもいいんだ。望美はまるで明るい気持ちだ。いつか仲直りできるかもしれないから、ではなくて--むしろ卒業したりすることで、綾だけではない、いろんな人とどんどん疎遠になっていくだろうと確信しているのだが--本を読んでいたことで、この気持ちを、殴られた痛みまで含めて、あらかじめ知っていたからだ。
 本はつまり、役に立つ!

 最後の1文「本はつまり、役に立つ!」。ここに力がこもっています。恐山のイタコの口寄せではないですが、望美の口を使ってホンネを書き表しているような気がします。書きたくて仕方がない強い強い欲望を感じます。欲望に突き動かされた表現はグッと心をつかみます。

 小説の締めくくりには驚きました。普段なかなか小説を読まないのですが、こういう締めくくり方は新鮮でした。ネタバレになるといけないので、具体的に書くことは控えますが、まさに「ぼくは落ち着きがない」締めくくり方だと感心しました。


○自分の読書記録より『電化製品列伝』
 小説(など)に登場する電化製品に注目した、長嶋有さんによる世にも珍しい書評です。
 http://bookdiary-k.blogspot.com/2009_04_01_archive.html#1481613097179981111

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中公新書『胎児の世界 人類の生命記憶』

著者:三木成夫
発行:中央公論新社

 初版は1983年。26年も前の本です。吉本隆明さんの講演を聴いて初めて知りました。

 読み切りました。読み切ったのですが、その内容に圧倒されっぱなしでした。読みながら頭がクラクラしてくる感じです。
 図書館で借りて読んだのですが、書き込みができずにもどかしい思いをしました。本屋で買って自分の本を手に入れて、書き込みしながらもう一度読みたい本です。

 今どんな感想を書いても、なんか的外れになってしまいそうです。自分の本で書き込みしながら読んで、そこで改めて感想を書き込もうと思います。

 ただ今書けるのは、年を重ねてから読むと、また新しい意味を見い出せそうな気がします。5年後、10年後にも繰り返し読もうと考えています。

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2009年5月5日火曜日

『よりぬき読書相談室 どすこい幕の内編』

編集:本の雑誌編集部
発行:本の雑誌社

 WEB本の雑誌読書相談室」から、2004年6月~2006年6月に掲載されていたものを編集してできた1冊です。「読書相談室」では、投稿された本に関する質問に相談員が答えていくものです。「こども電話相談室」を大人向けに、かつ本・読書のジャンルに絞って展開されている感じです。

 相談の多くは「○○のときにはどういう本を読んだらいいか」「○○を読んでしまったのだけど、次に何を読んだらいいか」というものです。わずかな手がかりから、より良い本を提示しようとする相談員の方々の姿勢に頭が下がります。

 個人的に一番衝撃を受けたのが「カンガルーが岩になるストーリーの絵本を探している」というこの質問。その答えが「カンガルーではなくロバならば、この絵本ではないか」と1冊の絵本を提示しています。「ホント・ウソが入れ混じっている情報」から的確に1つの答えを導いているのです。この回答を読んでソクッとしました。
 これこそ単語レベルの検索しかできないインターネットには不可能な芸当です。「暗記はコンピュータにまかせればいい」なんていう論調を見かけることがありますが、そんなのはウソでしょう。情報が高度に複雑化するほど、その複雑な情報から新しい価値を見出すのは人間の脳でないと難しいと思うのです。それこそ「検索できるレベル」に大きな価値は見出せないでしょう。

 この受け答えを見ていると、人間の持つ知識のパワーを感じます。人間の知識はまだまだインターネットなんかには負けないぞ、という勇気を与えてくれます。
 ……それだけに、今現在、この「読書相談室」が行われていないのが残念です。こういう場って貴重な場だと思うのです。

 シリーズがこの本を含めて5冊出ているようです。この本で知りえた本を読んだら、シリーズの別の本も読んでみたいです。


○「よりぬき読書相談室」シリーズ

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『文科系のための暦読本 古今東西の暦の「謎」を読む』

著者:上田雄
発行:彩流社

 洋の東西を問わず、暦の歴史について簡単に解説された本です。タイトルに「文科系のための」とあるように、数式などはほとんど使わず文章で説明するスタイルです。
 ローマ暦から始まって、ヌマ暦、ユリウス暦、アウグストウスの改暦、グレゴリオ暦に至る歴史が順を追ってよく書かれています。

 歴史の部分は「なるほど」と思えることもあり、楽しく読めました。ところが、後半から様子は一変します。なんというかお説教臭くなるのです。「二十四節気は旧暦ではない」「旧暦は破綻する」「今の旧暦をもてはやす風潮はけしからん」こんな論調が繰り返されます。しかもお天気キャスターである個人の名前(ここには書きませんが)を挙げて、鬼の首でも取ったように「こんな勘違いがある!」と声高に指摘します。なんというか大人気ないというか、気分がいいのだろうなと文章から読み取れます。興奮している姿が目に浮かびます。そんなのを読まされている方はたまったものではありません。本の中でこうやってあげつらうのではなく、そっと本人に伝えてやるのが本来のあるべき姿だと思うのです。年長者であるならばなおさらです。もうすぐ80歳にもなろうという歳です。「いい歳なのに、あぁあ~」という想いを抱くのは僕だけでしょうか?

 「正しいことをいっていい気分になっている姿」を見ると、中島みゆきさんの『Nobody Is Right』という曲を思い出します。

争う人は正しさを説く
正しさゆえに争いを説く
その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が気分いいんじゃないのか

 前半部分の暦の変遷がよくまとまっているだけに残念です。


○自分の読書記録より『空と月と暦 天文学の身近な話題』
 米山忠興さんによる著書。僕はこちらの方が好みです。
 http://bookdiary-k.blogspot.com/2008_05_01_archive.html#7265274783289851884

○中島みゆきさんのアルバム『I Love You,答えてくれ』
 上記『Nobody Is Right』が収められているアルバムです。

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