著者:高橋久仁子
発行:講談社
「○○の驚異的なダイエット効果!」
「○○を1日に1粒摂取するだけで健康な体が保てます!」
「○○を飲んでサラサラ血液になろう!」
テレビやCM、雑誌などを見ると、上のような広告をしばしば目にします。科学的な裏付けがあるものから、眉唾なものまで玉石混交です。
食べ物や栄養素による健康・美容への影響を過大に評価したり、過大に誇示、または過大に信奉したりする態度(逆に過小する場合も有)を「フードファディズム(food faddism)」と呼びます。
この本は、世にはびこる「フードファディズム」に警鐘を鳴らした本です。
ここに告白します。
この本の読み始め、最悪の印象を抱いていました。3分の2、ないしは4分の3くらいまでは、読むのやめてしまおうかと迷っていました。でも、イライラしながらも読みました。
この本に書かれているのは、「フードファディズム」に陥らないように啓蒙する内容です。当然、世の中に出回る「フードファディズム」を槍玉に挙げ、それを否定しています。
この「槍玉に挙げて否定してみせる」態度が問題なのです。その態度はあたかも「モグラたたき」。ただただ「こんなの根拠がありません」と叫ぶ――穴から出てくるモグラを虎視眈々と狙い、片っ端からハンマーでたたく――姿が、滑稽にしか映らなかったのです。
その滑稽さは「素人っぽく」見えてしまう書き方に起因しています。
「フードファディズム」を否定することは、「バランスのよい食事を摂る」ことに帰着します。至極真っ当な結論です。特別でも何でもない誰でも思いつく結論です。この結論に着地するためには他の尖った部分――フードファディズム――を攻撃すればいい。当然の発想です。
誰でも思いつきそうな発想を何の工夫もなくやってみせる。これが「素人っぽく」見えてしまうのです。
しかも質が悪いのが、論じている内容は「世の中の事象を否定する」ことだけ。否定して攻撃するだけならば何も生み出していません。そこには創造がありません。その創造性のなさが、なお一層「素人っぽさ」を際立せます。
さらにダメ押しのように印象を悪くしている要素が存在します。それは論拠を書いていないこと。
「○○は体にいい」なんて言っている輩がいるけど、そんなの幻想! ○○だけで健康になれるなんてありえない!――ずっとこの調子です。「ありえない」とはさすがに書いてはいませんが、語気はこんな調子。「素人っぽさ」丸出しです。
最後の最後になって、この「素人っぽさ」は誤解であることがわかります。むしろ、玄人が過ぎている印象を受けました。
著者の高橋さんは、「フードファディズム」と疑わしき広告をかつてより収集しているそうです。本書の後半に、昭和60年代からの、いわゆる「○○ダイエット」と呼ばれるダイエット法が列挙されています。その数、なんと148種類!
数にも驚きますが、収集してみせる執念にも驚きます。
こういったダイエット法に対して、その広告主や提唱者に電話問い合わせをした様子が描かれています。広告で語らざる部分にカラクリがあることを明確に暴いています。
また、「フードファディズム」ではない、「バランスのよい食事」を例示しています。具体的なデータを挙げながら、作例の注意点を丁寧に解説しています。
これは実に創造的な仕事です。
世の中の「フードファディズム」は、効果が疑わしく根拠もない。著者の高橋さんにとって、この結論は、長年にわたる調査と研究で到達したからこそ揺らぎないものなのでしょう。
長い年月をかけて到達したからこそ、その途中の課程が省略されて、結論にショートカットできてしまう。「素人っぽさ」あふれる書き方は、実は玄人の技なのでした。
数学における証明で、数学者が「明らかに……」「同様にして……」と書いてしまう感覚と似ているのかもしれません。プロの数学者にとっては「明らかに」「同様にして」ショートカットできるのです。
調査しているのか、論拠はあるのか。そういった疑念を抱きながらこの本を読む必要はなさそうです。玄人の技に裏打ちされています。大丈夫です。安心して読んで構いません。
(だからといって、すべてを鵜呑みにしていいわけではありません。充分調査済みなのだけど、首をひねりたくなる結論も見受けられました)
とはいっても、読み手に優しい書き方はあるはず。著者である高橋さんには、次回作では、読み手を不安にさせない書き方をしていただければと思います。一読者からのささやかな願いです。